2012年2月13日月曜日

敍事短歌(Tanka epic)『愛二飢タル男Love-hungry man(AIUEO)』第二部(Second part)さすらひ(Wanderer)

敍事短歌(Tanka epic)

愛二飢タル男Love-hungry man(AIUEO)


第二部(Second part)

さすらひ(Wanderer)













 それは多分まだ秋も淺い午後であらうか、まるで古都のほろほろと日射しが悲しげに降り溜まつては、風の囁きに飛び散つてゐるやうな道を、青年は世俗的なものの一切から切り離されたやうにして、あの女性とまた逢へる事を願ひながら歩いてゐた。


 青年は京都の街をさまよひまがら、飛騨の高山で暮した三箇月の間の苦しかつた事を思つた。
 青年はあの女性の事を忘れる爲に、仕事に沒頭した。
 青年にとつて可成(かなり)の大作をそこで十品も描き上げ、民宿をしてゐる主人に宿泊費の一部にしてもらつた。
 その主人は青年を理解し、就中(なかんづく)、藝術を理解してゐた。
 さうして、好きなだけゐるやうにと言つて、青年を頗(すこぶ)る可愛がつてくれた。


 青年は高山の城址が氣に入つて、よくそこに登つて風景畫(ふうけいぐわ)を描いてゐたが、その時はいつも殆ど、夏休みだからと言つて東京の大學から歸つて來た民宿の娘が、青年につき添つていろいろと世話をしてくれた。
 この夏の間は、その娘の靜子と離れた事がなかつた。
 

 靜子は、夏休みが終つて大學が始まるといふにも拘(かか)はらず、到頭(たうとう)、青年が京都へ旅に出るといふ九月の中旬まで、青年と一緒に過ごした。
 靜子の兩親は、靜子に東京に戻る事を、青年の前で幾度も言つた。
 が、それはいつも青年に迷惑がかかるから、といふ事で言つたのであつた。
 兩親の本心は、靜子と青年が結ばれる事を願つてゐるらしかつた。


 二人は高山驛から乘車して、途中で東京都と京都へと別れわかれになつた。
 その時、靜子は言葉少なに、

 「來年も、また、いらして下さいね。きつとよ」

 さう言つて、來年の夏を夢見るかのやうにして、樂し氣に青年の眼の前から消えた。
 

さうして、これからも青年の心から靜子は戀しい人としては消えても、懷かしい人としては消える事はないと思つた。
青年には、この夏の靜子が青年の前に展開した一人の女として振舞ひが、靜子には惡くも、青年をより一層あの京都の女性への思慕をつのらせた。


 青年は、靜子と別れてひとりで汽車に乘つてゐる時に、自分はもしかするとあの靜子を愛さうとしなかつた爲に、靜子を不幸にするかも知れないと思つた。
 しかし、それとは別にもう一方で、青年はあの京都の名も知らぬ女性への思ひに憧れてゐた。
 が、ともすれば青年は人を不幸にするよりも、自分が不幸になつた法が樂(らく)かも知れないと思つた。
 さう思ひながらも、青年はもう何も逆らはずに京都へ向つてゐる自分を見出してゐた。
 青年は、いつかあの女性の後ろ姿を思ひ浮かべた。
 あの女性と、いつか結ばれる事を祈りながら……。















 さうして、青年は再びこの京都に現れた。
 現れたといふよりも、青年はあの女性の元へ歸(かへ)つて來たといふ可きだつた。
 歸る處のない筈の放浪者が、歸る事を思ひ立つた。
 しかし、青年はあの女性の名前も住所さへも知らなかつた。
 青年は京都を歩き廻つた。
 秋の雨が降り出した。
 青年は京都を味はつた。


 霧を帶びた小高い丘の頂の鐘撞き堂や、寺の周りを見守るやうに覆(おほ)つてゐる林や竹藪の青さに懷かしさを覺(おぼ)え、境内(けいだい)の石疊(いしだたみ)の餘(あま)りに自然な艷と、何百年も以前に造形されたものの美に、泪(なみだ)が胸に溜るやうであつた。
 

 この淋しさや泪はきつと旅に來たのではなく、歸つて來たといふ一寸した違ひによるものだと青年は思つた。
 青年は、この京都へ歸つて來たと思つた時から、あらゆる悲しみを味はひ始めなければならなかつた。
青年は、あの女性が自分の事をどう思つてゐてくれてゐるのか知りたいと思つた。
この京都へ、青年はそれを尋()きに歸つて來たのだつた。


さうして、その返答次第で青年は、あの幻の中の女性を現實に連れ戻さうとさへした。
しかし、青年は知つてゐるらしかつた。
丁度、あの女性の心も解らない儘に暮れて行く今日(けふ)のやうに、自分には神の怒りに觸()れてさまよつてゐる猶太(ユダヤ)人の如く、安住の地が有得ないといふ事を……。










 青年は知つてゐた。
 自分の中のものは何も失つてゐない事を。
 ただ、自分には滿たされない何かがあつて、それが喪失感のやうなものを誘ひ出してゐるといふ事を……。


 あの高山にゐた時だつてさうだつた。
 青年は自分が望めば、靜子と幸せになれたかも知れなかつたのだ。
青年が滿たされない日々を送るのは、それはいつも一歩の差もない事だつた。
 青年は現在を見ずに、過去や未來とか、常に手の屆かないものをしか思はなかつた。
 それが青年を、いつも鬼ごつこの『鬼』にしてゐる原因のやうであつた。


 青年は、高山で靜子の顏を見る度(たび)にあの女性の後ろ姿を思ひ浮べ、夜になつて獨りの時間が出來ると、あの女性に手紙を認(したた)めて胸の内を傳(つた)へようとした。
 しかし、それはいつも破り捨てられる手紙であつた。
 硯(すずり)を出し、墨を磨()つて巻紙に思ひの儘に戀ふる氣持を書いた。
 
 
 さうして、ある時、青年はその晩に書き終へた手紙をあの女性に差出さうと、出鱈目な住所を書いて郵便箱(ポスト)に投げ込んだ。
 青年は、あの女性の元へ屆きさへしさうな氣がした。
 しかし、翌朝、青年は泪に濡れて目を覺()まし、何も信じられずに京都へやつて來る事を思ひ立つたのだつた。











 青年は京都の街角に立つて、似顏繪(にがほゑ)を描いて得た僅(わづか)かな収入で毎日を暮してゐた。
 生活に少しの餘裕(よゆう)が出來ると、『シンホニイ』へ行つて音樂を聽いた。
 しかし、青年の心と生活は次第に荒(すさ)んで行つた。
 繪も粗雜になり、街角にも青年の姿が目立たなくなつて、忽(たちま)ち、乞食のやうな生活をするやうになつた。


 青年は空腹に精神さへ負けさうになりながら、京都の光と影が屈折してゐる中をさまよつた。
 青年の頬は痩()け落ち、無精髭は伸びて、浮浪者同様の姿で京都をふらついた。
 僅かに青年の額と目に、理知的なものの見えるのが救ひであつた。
 青年は秋の雨の中で、何處をどう歩いたのか解らぬ儘、なにか「鎭魂歌(レクイエム)」の中の一節が聞えてでも來さうな氣がしながら、ある寺の前で意識を失つてしまつた。


 青年は夢を見た。
 夢の中で青年は死の淵を歩きながら、自分はどうして死んだのだらうかと思つた。
 どうしても自分の死んだ理由が、丁度、生きてゐる時に何故生きてゐるのかその理由が解らないのと同じやうに、肯首(うなづ)ける事件が思ひつかなかつた。
 青年は自分に質問してゐる閻魔大王(えんまだいわう)に、どうして自分が死んだのかその理由を尋()くと、閻魔大王が呆然としてゐる姿を見て、それが青年に自分の死後は地獄だつたのだと思へて、何となくその事だけが肯首けるやうな氣がした。
 さうして、青年は自分が生前に鬼ごつこの「鬼」ばかりをしてゐた事を思ひ出し、忽ち、自分が地獄でも鬼より恐ろしい形相をし出して夢から覺めた。


青年が地獄から舞ひ戻つて見たものは、今年の春に京都へ訪れた時に泊つた事のある、あの寺の懷かしい住職の顏であつた。
住職は、少しも變(かは)らぬ艷を顏に止めてゐた。

「氣がつきなされたか。久し振りぢやな」

「濟みません。またお世話をかけてしまつて」

青年は申し譯なささうに言つた。

「なんの。氣にする事はない。良くなるまで、此處(ここ)にいなされ」

「いいえ、これは自業自得です。いつまでも迷惑をかける譯には……」

「いいから、まあ、これでも食べて元氣を出しなされ」

住職はさう言つて、食事を枕元に置いて出て行つた。


青年は、一週間以上もその住職の世話になつて、身體(からだ)の具合が良くなると、朝、早く起きて寺の掃除(さうぢ)や床を磨き、それを終()へてから住職と一緒にお經を唱へた。

「人は何故、生きてゐるのでせうね」

さうして、青年は、ある晩住職にそんな事を洩らした。

「さうぢやな。それは大變に難しい問題ぢやで、愚僧には答へられんなう。人は皆、思ふ事が違ふからなう。

蝋燭(らふそく)の炎の搖らぎが、二人の影を床に這はしてゐた。

「しかし、愚僧自身は、死ぬのがいやだからぢや。それは死ぬのが恐ろしいから、と言つても良いがなう」

「さうです。正直なところ、僕もそれなんですよ。それさへ抑へる事が出來れば、衝動的にせよ、死ぬ事が出來るだらうと思つてゐるのですが……」

青年はさう言つてから、あの女性との經緯(いきさつ)を住職に話した。

「ご住職は、愛を信じられるでせうか」

「さあて、それは傳説(でんせつ)ぢやな。愚僧には遠い日の事ぢやよ」

「愛とは、さういふものかも知れませんね。

住職は、薄眼を開けながら佛像のやうに端座してゐる。

「でも、僕にはご住職のやうにはなれないでせうね。きつと」

翌朝、青年は在中に描き上げた一枚の繪を置いて寺を出た。

「僕には、こんな事しか出來ません」

青年がさう言つた時の住職の顏には、なんの氣兼ねもせずにいつでの來なさい、と言つてゐるかのやうに穩やかな笑みが浮んでゐた。


細々と續いた道を右に沿()つて行き、寺が見えなくなると何日か止んでいた雨がまた降り出した。
青年は見覺(みおぼ)えのある野原に出て、それがあの女性と二度目に出逢つた場所である事を知つた。

――八瀬の里

別に「矢背の里」とも言ひ、昔、武將が背に矢傷を受けたといふ伝説がこの地の由來であるといふ。
青年は、自分もまた深い傷を殘してゐると思つた。
青年は、甘んじて雨に打たれて立つてゐた。
遠くの山々や木々も、さうしてその周りの草も、自然は青年よりもあるが儘に生きてゐた。
自分だけはいつも自然ではないと青年は思つて、何か怒りにも似た力が出た。


その時、不圖(ふと)、青年は遙か彼方に紫色の和服を著た女性が、季節外れの紫陽花(あぢさゐ)のやうに佇(たたず)んでゐるのを見た。

「あの女性(ひと)だ!

青年は思はず心の中で叫んで、なにか興奮する氣持を冷靜に裝(よそほ)ひながら、女性の側へ歩み寄つて行つた。

「矢張、貴女でしたか」

「あ

女性は、今にも死ぬかと思はれるほど青ざめて青年を見つめてゐたが、青年と同じやうに冷靜にならうとしてゐるらしく、

「お元氣さうで……」

と感情を殺すやうに常識的な事を言はうとしたが、最後まで言葉にならなかつた。

「えゝ……」

青年は言葉を探(さが)した。




二人は默つた。
雨は二人を隔てるやうに降り頻つてゐた。

「貴女も、お元氣さうで。

青年が、ぽつりと言つた。
傘を持つ女性の藥指に光る石を見て、青年は悟つた。
その視線に、女性は俯(うつむ)いた。
傘を持ち替へた時、女性の藥指の光る石が、雨の雫に濡れて艷を増した。
傘を持つ女性の白く細い指の生命(いのち)の靜脈が、切なく震へるやうに青年を雨から守らうとした。

「濟みません。

青年はさう言つたものの、もうあの春の雨の中の出來事とはまるで違つた現實の二人を見出してゐた。


二人は歩いた。

「幸せですか」

「……」

何も言へない女性の顏に、翳(かげ)が一層深くなつた事に青年は氣づくと、なんだか殘酷な氣持になつて、

「あの男性(ひと)とでせう。

女性は、あの日の見合ひの事を知つてゐたのかと驚いて、青年の顏を默つて見上げるだけだつた。
青年はその相手が誰だかも、さうして、見合ひをしてゐた事さへも知らなかつた。

「あの人とでせう」

青年は、猶(なほ)も追ひ打ちをかけた。
だが、それは女性にといふよりも、自分自身にぶつけられた言葉に違ひなかつた。

「優しいですか。

續く言葉は、更に惡魔的だつた。
女性は答へなかつた。
青年は、恰(あたか)も自分が女性の結婚相手が誰であるのかを知つてゐるかのやうに振舞はうと思つたが、さう言ひながらも女性の相手を空想してゐる自分が――漠然とその相手を嫉妬してゐる自分が哀れに思へ、さうして何よりも女性の事を考へると、流石(さすが)にそれ以上は何も言へなくなつた。


二人は歩いた。
天は、それだけが唯一の贈物ででもあるかのやうに雨を降らせてゐた。


女性は、夫(をつと)が五日前から歐羅巴(ヨウロツパ)へ出張してゐたので、青年の面影を抱きながら、途中で『シンホニイ』へ立ち寄り、この八瀬の里まで來たのだつた。
しかし、この思ひもよらぬ悲劇的(トラヂツク)な出逢ひに、女性は愛に生きようとさなかつた自身に苦しんだ。


親の決めた相手に逆らへずに迎へた結婚式の時、あの青年の愛を待たずに結婚する自分は、もう死ぬのも同じだと女性は思つたのだつた。
さういふ氣持は、今も變らなかつた。
けれども、女性は青年に何も言へなかつた。
女性は、自身が他の男性と結婚したといふ事だけで、青年に顏が合はせられなかつた。
()して、夫が出張して三日が過ぎた時、女性は愛のない夫の子供を宿した事を知つた今となつては、夫の血の交(まじ)はつた自分の子供でさへも、愛し切れるかどうか疑問に思へた。
女性は、青年のどんなに辛い言葉にも、ただ默つた肯首(うなづ)く事しか出來なかつた。
今更、お互ひが愛し合つてゐると言つたところで、どうなるものでもないと二人は思つた。


京福電車の驛前に來て、青年は始めて彼女の名前を訊いた。

「貴女の、名前を教へて下さい」

女性は目を瞑(つぶ)つた。

「蝦夷美(えぞみ)

しかし、女性は名字を名乘らなかつた。
青年は、その女性の氣持も解らない儘に、女性の名前を二度呟いた。

「お幸せに」

青年は、もうどうする事も出來ないほど殘酷な言葉を、心の中へ刻みつけたと思つた。


のみならず、青年は女性と一緒に電車に乘らなかつた。
女性は、青年の心が理解出來た。
女性は運命に逆らはないかのやうに靜かに電車に乘り、青年は女性を見送つた。
青年の煙草の煙が列車の窓を覆(おほ)つたかと思ふと、秋の雨が霧をただよはせた。
霧の中列車がへ消えてしまつて、青年は驛に獨り取殘されると、もうこの世の中にあるものは悲しみばかりだと思つた。
青年は、、深い霧につつまれた驛の構内の外へと消えて行つた。










 光は、青年の前から消えた。
 青年は霧の中で一晩さまよつたが、朝になつても霧は消えずに寒さを増した。
 青年は、一番列車でどうにも事も出來ない旅へ出た。
 青年はどうなつても良いと思つた。
 これからの旅の途中で、或は何處かの驛に着いて自分が最初に行かなければならない所は、天國でも地獄でもなかつた。
 それは青年を最も辱(はづかし)めるべき驛の公安室か、小さな驛長室の筈であつた。
 青年は、入場劵だけを手にして、車劵を買はずに乘つたのだつた。
 買はずにといふよりも、それを購(あがな)ふ金錢的な餘裕はもう青年にはなかつた。


 しかし、青年はそんな事はどうでも良かつた。
 青年は、霧の中を走つて行く汽車の中で、この汽車の行方の目的のある事が羨ましくさへ思へた。
 失意の底で喘(あへ)ぎながら幾度となく涙を流してゐる自分は、一體(いつたい)、どうして泣いてゐるのだらうかと青年は思つた。
 自分の向ふべきもののなくなつた爲か、戀しい人を失つた爲か、それとも、あの女性が不幸だといふ事を打明けてくれなかつたからか……。
 青年はそんな事を思つて涙を流した。
 さうして、自分はあの女性の事を一生涯忘れる事が出來るだらうかと思ひ當(あた)り、決して忘れ去る事が出來ない自身の氣持を知つて、どうしてこのやうな事になつてしまつたのかと青年は悲しんだ。


 青年は悲しみと考へ疲れたのとで、いつしか眠つてしまつた。
 青年の見た夢は、嘗(かつ)て見た夢と同じやうに、いつも暗い悲しみにつつまれてゐた。
 夢の中の青年の分身たる少年は、昔よく遊んだ隱れん坊をしてゐた。
 しかし、見つけようとしてゐる相手の少女は、いつまで經()つても少年には發見出來なかつた。
(あま)りに見つけられないので、少年は少女が隱れん坊に飽きて放棄してしまつたた事にも氣づかずに、自分だけがとり殘されて、ひとりで遊んでゐるやうに思はれた。


 少年は、歸(かへ)る處(ところ)もなく途方に暮れてゐゐた。
 夢を見てゐる青年は、夢の中の少年がその事に気がつかない事を悲しく見守つてゐた。

「もしもし、お客さん。終點(しゆうてん)ですよ」

 少年は車掌の聲(きゑ)で、忽ち、悲しみをそのまま持つて青年になつてしまつた。
 
 「あゝ、どうも濟みませんが」

 車掌がなんだか氣の毒さうに起こしたので、ひよつとすると隨分以前にこの車掌は乘車劵を調べに來てゐて、寝てゐる自分を起こさずに今まで眠らせておいてくれたのではないだらうかと青年は思つた。

 「有難う。

 青年は、さう言つてから、

 「僕は乘車劵を買ふ金もないままに、乘つてしまひました」

 と正直に言つた。

 「さうですか。それは困りましたね。失禮ですが、驛長室まで來ていただけますか」

 車掌の態度の少しも變らなかつた事に、青年は好感が持てた。
 
 「えゝ、ご迷惑をおかけします」

 青年はさう言つて、車掌について汽車を降りた。


 霧はまだ消え去つてはゐなかつた。
京都からそれほど離れてはゐないだらう、と青年は思つた。
車掌が驛員に何やら話した後、青年は驛員に從つて小さな驛長室に案内された。

「失禮します」

ぼうつと、そこだけが浮上がつて見える驛長室の中へ、青年は驛員の後ろをついて入つて行つた。
人工の光が、その中だけは役立つてゐた。


「なんだね」

口髭をたくはへたひとの良ささうな驛長が、古い大きな机の前に坐つてゐた。

「はあ、實は、このお客樣が……」

車掌は畏(かしこ)まつて、さういふと口を噤んでしまつた。

「その青年が、どうかしたのかね。

大きな洋煙管(パイプ)を銜(くは)へながら、驛長は青年の方を見て言つた。
車掌は一禮(いちれい)すると、驛長の耳元へ來てなにやら小聲(きごゑ)で囁いた。

「何、さうか。解つた。


(しばら)く驛員の話を聞きながら肯首(うなづ)いてゐた驛長は、急に嚴しい顏をして青年を見た。

「話を聞くと、君は無賃乘車してゐたとの事だが、本當(ほんたう)かね」

「えゝ、本當です」


「見たところ、君ももう分別の理解出來る歳だ、と思ふがね」

驛長は洋煙管を燻(くゆ)らしながら、しづかな口調で質問した。


青年は、黙るより外はなかつた。

「一應(いちおう)、所持品を調べさせてもらふ事になるが、構はないだらうね」

默つて突立つてゐる青年の側へ驛員が素早く寄つて、脇に抱へてゐる大きな鞄(かばん)を奪ひ取つた。

「そ、それは」

青年の言葉より早く、驛員が驛長の前の机の上に中身を擴げて見せた。
(いくさつ)かの寫生帖(しやせいてふ)と數枚の水彩畫(すいさいぐわ)が散らばつて、最後に繪具(ゑのぐ)入れがゴトリと音を立てた。


驛長は、ふとその數枚の繪に眼を止めて、

「ふうむ……」

と肯首いた。

「これは、君が描いたのかね」

「えゝ」

「ふうむ……。

驛長はもう一度、肯首いてから、

「君は、畫家志望といふ譯だね」

と言つた。

「似顏繪(にがほゑ)を描いて食べてゐる、貧乏繪描きに過ぎませんがね」

「さうですか。で、君は何處から乘つたのかね」

「京都からです」

「何かあつて、出て來たのかね」

「――」

「家の人は心配しないのかね」

「京都に、僕の家族はゐません」

「ふうん、ぢやあ、繪を描く爲に京都に寄つて、歸る途中だといふ譯かね」

「いいえ、僕には歸る家は、もうありません」

「では、何か京都にゐたくない事情でもあつたのですか」

「……」

「さうか、言ひたくない事は、無理に言はなくてもいいがね」

「別に、何處といつて行くところはありません。兔に角、京都以外の所なら……」

「ふうむ」

驛長は、一寸考へてから、

「この青年は、儂(わし)があづからう」

と驛員に言つたが、それを聞いた驛員は、驛長のいつもの癖がまた始まつたかといふやうな顏をして、

「さうですか、では、失禮します」

さう言つて驛長室を出て行つた。

「君、名前は?」

青年は、もう覺悟を決めてゐた。

「日向忍です」

しかし、驛長の言葉は以外であつた。

「さうか、ぢやあ、忍君。儂の顏を描いてくれ給へ」

「はあ?」

「大した面相はしてゐないがね。さあ早く」

「はい」

青年は訝(いぶか)りながらも鉛筆を執つて描き始めるや、忽ち、なにもかも忘れてそれに沒頭した。


どれほど經()つたか、

「今日はこれぐらゐして、また明日も頼むよ」

青年は、驛長にさう言はれて鉛筆を擱()いた。

「でも、僕は明日、ここに來られるかどうか……」

「さつき京都以外なら、何處でもいいと言つたんぢやないのかね」

「はい。しかし」

「儂の家に來てもらふ事にするからね」

「濟みません」

青年はそれだけを言ふと、深々と頭を下げた。


うつすらと霧の流れてゐる暗い歸り道を、青年は驛長の後ろに從ひながら、驛を出た時の驛長に對(たい)する驛員たちの樂し氣な態度に、この驛長の持つてゐる親しみやすさや温かさを感じて、その背中に安心感を覺えた。
やがて、大きな竹藪の前に、家が一軒建つてゐるのが見えた。

「歸つたよ」

驛長はその家の前に來ると、戸を開けて入つた。
大橋といふ表札がかかつてゐた。

「お歸りなさい、お父さん」

若い娘の聲がした。

「君、入りたまへ」

「あら、誰かいらつしやるの?」

「うん、知り合ひでね。儂の似顏繪を描いてもらつてゐるのだが」

「まあ、お父さんの似顏繪を!?

娘らしい朗らかな笑ひ聲がした。

「おいおい、それほど捨てたもんでないぞ、儂の顏は。ねえ、君。おや、まだ入つて來てゐないのか。早く入つて來たまへ」

「はい、失禮します」

暗い霧の中から青年が入つて來ると、大橋親娘が待つてゐた。

「これが儂の娘だよ」

「直子です。父が無理を言ひまして」

こんな事には馴れてゐるといふ風に、直子の言葉は自然だつた。

「日向忍です」

「父のお知り合ひだといふものですから、もつとお年を召した方だと思ひましたわ」

「まあ、話は後で。兔に角、上がりたまへ」

「あつ、さうでしたわ。さあどうぞ」

家の中へ上がつて、始めてかとさえ思はれるやうな樂しい食事を濟ませると、青年の繪を見ながら、大橋親娘はひとしきりその繪を見て感心してゐた。
青年は、その親娘の生活を羨ましく思ひながら床に就いた。


しかし、その夜、青年は直ぐに眠れなかつた。
のみならず、涙をさへ流した。
それは大橋といふ親娘の優しさの爲ばかりではなかつた。
もうどう仕様もない程、あの京都の女性と別れの道を歩んでしまつたといふ自らの運命と、女性の幸せが永遠に續く事を祈つてゐる自分に對して、青年は涙を流したのであつた。









 翌朝、青年は心地よい鳥の鳴き聲と明るい日射しで眼を覺ました。
 身體(からだ)に熱があつたやうで、青年は起き上がる時に眩暈(めまひ)がした。
 庭に出て大きく息を吸つた時、急に胸の苦しさに、青年は思はず咳込んだ。

 「あら、もうお目覺めですか」

 「あつ、お早うございます」

 「遠慮なさらずに、もつと緩(ゆつく)り眠つていらしても、良かつたのに」

 「さうも行きませんよ。で……」

 「父でせう。もう仕事に出てゐます」

 「早いのですね」

 「いつも六時の出勤を缺()かした事がないのが、父の自慢ですわ」

 「立派な方ですね」

 「まあ、父が!」

 「えゝ、立派なかたですよ」

 「さう、ぢやあ、さういふ事にしておくわ。それよりも朝食の用意が出來てますわよ」

青年は、部屋に入つて食事をした。


 縁側から庭が一望出來た。
朝の日射しは、伸びやかに青年の坐つてゐる處(ところ)を戯れるやうに漂つてゐた。
庭の竹藪の一隅(ひとすみ)に木洩れ日が射して、何かそこに秘密が埋つてゐさうだつた。

「忍さん」

「えゝ」

「父とは、いつ頃のお知り合ひなんですの」

「昨日(きのふ)です」

「昨日?」

「えゝ、さうです」

「大したお知り合ひだこと」

直子は笑ひながら言つた。

「さうですね」

「味噌汁のおかはりをしませうか」

「いえ、もう結構です。どうも御馳走さまでした」



青年は、庭に出て竹藪を眺めてゐた。
ふうつと京都の風景が、鮮やかによみがへつて來た。

――あの人はどうしてゐるのだらうか。

悲しみが、青年の前の竹藪を搖るがせたやうだつた。
青年の身體(からだ)は相變(あひかは)らず熱があつて、涙ぐんだ時、急にふらつとよろめいて蹈み止まつたが、俄かに胸から込上げるものがあつた。
それを庭に吐きつけると、京都での荒(すさ)んだ生活の報いででもあるかのやうに、眞赤だつた。



  







 青年は、その親娘の優しさに甘えて、隨分、長い日々をこの家で暮した。
 さうしてゐる内に、この親娘の生活の周邊(しうへん)の輪郭が、次第にはつきりと青年の前に現れて來た。
 直子の母親は子供の時に病氣で死んだ事や、父親ひとりの手でこれまで育てて來た事や、隣の村の榮吉といふ若者と後(あと)半月もしない内に、直子が結婚する事を知つた。
 
 
 大橋親娘に氣がつかれない儘に、青年の病状は日増しに惡くなつて行つたが、繪は意外と早く完成に近づいてゐた。
 それとは別に、青年は新しい作品を描き始めてゐた。
 それはその家の庭と竹藪に降り注ぐ光の微妙さを動機としてゐたが、勿論、大橋驛長の肖像畫(せうざうぐわ)の完成を主としてゐた。


 ある日、直子が買物に出かけて一向に歸る樣子がないので、青年は心配になつて迎へに行くと、遠くから直子が榮吉といふ婚約者と一緒に歩いて來る姿を見つけた。
 道は家から駅まで一筋しかなかつたので、青年は直子と榮吉の逢引を邪魔する事になつてしまつた。

 「忍さあん」

 直子は恥かしさうな顏もせずに、青年を見つけると、榮吉に何か言つてさう叫んだ。
 榮吉の方が恥かしさうに立止つてしまつた。
直子は、息を切らせながら青年の前へ來ると、

「どうしたんですの?」

と言つた。

「どうしたつて。直子さんの歸りが遲いので、心配になつて捜しに來たんですが、でも、大丈夫のやうですね、榮吉さんが一緒なら」

「あら」

直子はやつと恥かしさうに耳を赤らめた。

「未來のご主人を、あの儘にしておいても良いのですか」

「あつ!」

と言つて直子が振返ると、榮吉は直子が走り出した所で立止つた儘、青年と直子の樣子を見つめてゐた。

「いらつしやいよ! 榮吉さあん」

直子がさう呼ぶと、榮吉はそこで青年にぺこりとお辭儀(じぎ)をした。
青年もつられて、それに從つた。
榮吉は頭を上げると、そのまま直子に手を振つて歸つて行つた。

「どうしたのだらう」

「恥かしいのよ、忍さんに會ふのが」

「どうしてですか」

「良いわよ、そんな事どうだつて!」

直子は、少し怒つたやうにさう言つた。
青年は靜かに歩き始めた。
直子は、恨むやうな目をして青年を見詰めながら後に從つた。


次の日から、大橋驛長が出かけた後の青年と直子の間に、何か無言の内にお互ひの内部から微妙な感情が現れるのを感じた。
さうして、その日から直子は次第に無口になり、青年の前で暗い顏を深くして行つた。
青年は、もうこれ以上はここに留まる事は良くないと思つた。
それには早く肖像畫を描き上げれば良かつたのだが、それは思ふやうに行かなかつた。
青年は、出來るだけ直子とは大橋驛長がゐる三人の時しか話をしないやうに注意し、日中は離れの一室で創作に沒頭した。
時には驛長室まで出かけて、大橋驛長の細かい顏の陰翳を寫生しに行き、最後の仕上げの素描(デツサン)を終へると、今度は油繪に取りかかつた。


さうして、それは結局、結婚式の披露宴の日の午後に完成した。
朝、出がけに直子が父親へ最後の別れを告げた時、青年はその花嫁姿の輝くばかりの美しさを見て、直子を獨占出來る榮吉に羨望を感じた。
大橋親娘は榮吉の家に行つてしまつて、今はもう誰もゐなくなつた家の中で、青年はただ一人で創作に没頭したゐたが、それが完成した時、青年は不圖(ふと)直子との會話を思ひ出した。
結婚式の一週間程前の朝食の時に直子から、

「忍さん、わたし結婚して、幸せになれるかしら」

と、ぽつりと言はれた。

「榮吉さんは大人しさうな人だから、良いんぢやないですか」

「忍さん、好きな方はいらつしやるの」

「えゝ、ゐるにはゐますが……」

「さう……

直子は、青年が頼みもしないのに味噌汁のおかはりを注()いだ。

「その方、お幸せね。

青年は何も言へなかつた。

「わたし、一度の見合ひで結婚を決めてしまつて、これで良いのか思ふときがあるの。

直子は、昔を思ひ出すやうな遠くの方を見るやうな眼差しで、

「學生の時に、東京で下宿してゐた事があるの。大學へ行きながら、素敵な人とめぐり逢へるかも知れないと思つたわ。

青年は、餘り人の人の過去など知りたいとは思はなかつた。

「でも、男の人つて、遊ぶ事しか考へてゐなくつて。さうでない人は、一生懸命參考書と睨(にら)めつこ。殆どの人が、このどちらかだつたわ」

「それなら、榮吉さんの方が、立派ぢやないですか」

「さうなの」

「僕は、本當の仕事は、昔からあつた漁師か、お百姓さんだけがしてゐるんぢやないかと思つてゐるんです。崇高だといはれてゐる藝術にしても、他の世間のあらゆる仕事にしても、時間の切賣りでしかないないんぢやないかと考へる事さへあるぐらゐです」

「わたしも、東京から歸つて來て、村の人の仕事を見てゐて、さう感じたわ」

「どんな藝術家が殘した作品よりも、どんな發明家が殘したものよりも、田畑を耕し、作物が出來るのを一年もかけて作つた人々、それを辛抱強く何年も、何十年も、さうして幾世代にもわたつてくり返して來た人々に、僕はただ頭を下げるしかないのです」

「わたしも、それが何かは解らなかつたけれど、大學にゐても、卒業してから就職した會社で勤めてゐた時も、なんだか違ふといふ氣がしてゐたわ。うまく説明出來なかつたけれども、さういふ事だつたのね」

「でも……。

と、青年は呟くやうに言つた。

「でも、結婚で幸福になるか、不幸になるかは判りませんが、どちらにしろ結婚をしなければ、それによつての幸も不幸もないでせう」

――青年は、あの時の自分の言葉を思ひ出しながら、今はもう結ばれる事のないあの幻の女性の俤(おもかげ)を偲んだ。



  









 山の懐(ふところ)に抱かれた村一面に銀(しろがね)の稻穗(いなほ)が頭(かうべ)を垂れてゐて、それが陽の光りで一層輝くやうな實(みの)りの中を大人たちは取入れに忙しさうに働き、子供はそれを手傳つたり、野原や堤を飛びまはつて遊んだりしながら、都会人とはまるで違つて、美しい自然の惠の中で村人は營みを續けてゐた。
 野邊を渡る風は、軈(やが)て來(きた)るべき冬の嚴しさを教へるかのやうに冷たかつた。


 小高い丘の上でその(ほうぜう)を眺めながら、それを畫布(キヤンヴアス)に寫しとる青年の姿があつた。
 青年は直子が結婚した後も、大橋驛長に請はれてこの地に留まつてゐた。

 「娘がゐなくなつて、君までゐなくなつたのでは、儂は淋しくてかなはんから、もう暫くの間でも良いから、此處(ここ)にゐてくれないかね」

 大橋驛長のさういふ言葉に甘えながら、あれから約一年が經()つて再び秋がめぐつて來た。


 その間、青年は村人の肖像畫(せうざうぐわ)を請はれる儘(まま)に描き續け、もう村人の殆どの人物を描き終つてゐて、青年にとつて嘗(かつ)てない充實した創作活動を過ごした一年だと云へた。
 今描いてゐる繪も、間もなく完成しさうだつた。
 青年は畫布(キヤンバス)に向つて筆を近づけた時、急に咳込んだ。
 胸に生温(なまぬる)い痒(かゆ)さを感じると同時に、口の中に、どろつとしたものが廣がつた。
 青年は、赤い自らの生命の分身を地面に吐きつけた。
 病魔は間違ひなく、青年の肉體を犯し續けてゐた。

 「忍さあん!

 青年は、その聲に慌てて地面の赤い血を蹈み躙(にじ)つて、大地に埋葬しながらふり返つた。

 「繪()は、出來まして?」

 直子の顏が、青年の瞳に映つた。

 「もう少しで、出來上がりです」

 「それなら、出來るまで此處で待つてゐるわ」

 「良いですよ、これで終りにしますから」

 「良くないわ。描いてゐるところを見たいの」

 「もう、室内でも描けますから」

 青年は、素早く道具をかたづけ始めた。

 「さう、ぢゃあ歸りませう、夕食の用意もあるし。それに父と忍さんぢや、良い食生活をしてゐるとは思へないものね」

 「それはさうだ」



 食事や洗濯物に關しては、週に一度は嫁ぎ先から直子が歸つて來て、二人の世話をしてくれた。
 特に、食事のおかずは冷凍にして、あとは温めるだけで出來上がるやうに四、五日分を用意して行つてくれるし、時々、夕方になるとおかずだけを、酒の肴だと云つて二、三品屆けてくれたりもした。
 初めは直子から、大橋驛長と青年に夕食の招待をされたりもしたが、流石(さすが)にそれは青年の方で遠慮して行かなかつた。
 大橋驛長は娘のところへ行きたさうだつたが、青年が行かないのならと大人の分別とやらを見せてゐたが、

 「僕に遠慮なんかは要りませんよ」

 といふ青年の言葉に、

 「なんの、忍君とかうやつて酒が飲めれば、儂は充分ぢやて」

 大橋驛長は強がつて見せるのだつた。


 家に歸つて直子が食事の用意を濟ませる頃になると、大橋驛長が歸宅して、玄關に直子の履物を見つけると、

 「ゐるのかね」

 と樂しさうに食事の席についた。


青年は離れの書斎で、愈々最後の仕上げにかかつてゐた。

『田園』

とでも題名(タイトル)をつけられさうなその繪は、金色(こんじき)の調べで統一され、遠景に山と小さな家竝(やなみ)が疎(まば)らにあり、空も稻穗(いなほ)の金色を映してゐた。
やがて、その繪が完成すると、丁度、食事の用意が出來たと云つて直子が呼びに來た。


大橋親娘との樂しい夕食が終り、直子が片づけを濟ませると、突然改たまつて、

「おとうさん」

と云つて、お茶を呑んでゐる二人を驚かせた。

「なにかね」

大橋驛長が洋煙管(パイプ)を銜(くは)へながら靜かに言つた。
直子は、恥かしさうに、

「實(じつ)は、赤ちやんが出來たらしいの」

「なに、 本當か!」

大橋驛長は、洋煙管を落としさうになるほど吃驚(びつくり)して、

「で、男か女か」

「まだ、判らないわよ」

直子は、呆(あき)れたやうに笑ひながら言つた。

「それはお目出度う」

青年は、大橋驛長の嬉しさうな顏を見詰めながらさう言つた。

「で、いつなんだ」

直子は顏を赤らめながら、

「順調に行けば、六月か七月の始め頃になると思ふわ」

「さうか、いや、でかした、でかした!」

大橋驛長は、娘の幸せな姿を滿足さうに眺めながら、洋煙管を燻(くゆ)らした。


青年は、直子の幸せを素直に喜んだ。
と同時に、この家とも離れる時期が來た事を悟つた。
それは、大橋驛長や榮吉と直子の夫婦及びその村人と暮す事への不滿からではなかつた。
ただ、何ものか青年を放浪へ驅立てるものが、近頃、夜といはず晝(ひる)といはず、青年に囁くのだつた。
一生を此處(ここ)で過ごすには、餘(あま)りにも青年には煩惱(ぼんなう)が多かつた。
幸ひ青年は、大橋驛長や村の人々に繪を買ひ上げてもらつて、かなりの貯(たくは)へも出來たので、慶(よろこびごと)の最中ではあつたがこの地を去る事にした。

「何かね、また改まつて。前から云つてゐたやうに、繪を展覧會に出品する氣にでもなつたのかね」

「いいえ、いつもそのご意見を有難いと思つてをりますが、實は、たつた今、この村の繪が完成しましたので、その繪を最後に、別れを言はうと思ひまして」

大橋親娘は吃驚(びつくり)して、

「まさか! 本當ですか」

大橋驛長の言葉を、青年は苦しさうに、

「今まで、散々お世話になりながら、なんのお返しも出來ずに去るのは、心苦しいのですが……」

「さうですか、儂も、今まで無理に引止めて來たので、もうこれ以上、何も言ひますまい」

「お目出度い時に、言ひにくかつたのですが、我が兒()のやうに可愛がつて戴いたにも拘はらず、勝手な事を言つて濟みません」

「せめて子供の顏を見てからとも思ひましたが、仕方がありませんわね、忍さん」

直子は淋しさうに、

「でも、春になつたら、また、いらして下さいね」

「えゝ、是非、夏にでも立寄つて見ます」

「君がゐなくなつたら、儂は淋しいな……」

「本當に、お世話になりました。

青年は茶を呑み乾すと、

「ぢや、僕は支度をして來ますので」

「えゝつ! 眞逆(まさか)、今夜、出て行くつて云ふんぢやないんでせうね」

「今日の夜行列車で、京都へ行きます」

「忍さん。當(あて)はあるの?」

「大丈夫、京都には、友人がゐますので……」

「でも、幾らなんでも、明日の朝にすれば良いのに」

「直子のいふ通りだよ」

「いえ、今晩中に行くからと、もう友人に聯絡(れんらく)してありますので……」





(しき)りに淋しいといふ大橋親娘に見送られて、青年は汽車に乘つた。
どうせ直子を榮吉の家まで送るのだからと言つて、驛まで見送りに來なくても良いといふ青年に構はず、大橋親娘は青年を見送りに來たのだつた。
青年は、車内の窓越しに、

「村のみんなに、よろしく言つておいて下さい」

と構内にゐる大橋親娘に傳(つた)へると、二人は肯首(うなづ)いて、すると耐へ切れんばかりに直子は言つた。

「本當に、春になつたらいらして下さいね」

その言葉が終るや、折よく汽笛が鳴つて車體がずしりと前後に搖れて、汽車はゆつくりと動き始めた。


汽車は闇に呑まれつつ遠ざかり、街燈に照らされた構内の二つの影法師(シルエツト)も、次第に小さくなつて行つた。
青年は、汽車の中で窓の外を流れて行く夜景を眺めながら、大橋親娘のあの優しさが、青年にはつらいと思つた。
自分は、誰に優しくしたのだらうか。
ただ、自分の好みに應(おう)じた藝術の世界を追ひ求めてゐるだけであり、戀しい人を偲んでゐるだけではなかつたのか、と自己嫌惡に陷(おちい)りさうになつた。
が、それよりも青年は、あの女性が今頃子供でも産んで、幸せな家庭を營んでゐるのではないだらうかと思ひ、より一層それが苦しかつた。
青年は溜息を吐()くと、思はず咳込んだ。
この肉體が後どれほど生き存(ながら)へさせてくれるのだらうか、と青年は思つた。
しかし、青年はそれでも京都へ向つてゐるといふ事で、光の中へ行くやうな、何か一縷(いちる)の希(のぞ)みを見出さうとしてゐた。
――あの女性の處(ところ)へ……。
















 京都驛を降りると夜は更に深まつて、街の廣告燈(ネオンサイン)は空の星を隱しながら、都會の孤獨を煽(あふ)るやうに煌(きら)めいてゐた。
 古都と現代の都會の不思議な調和の中で、青年は行き暮れてゐた。
 大橋親娘の家を出る時に、京都に友人がゐると言つたのは、出て行く理由がなければよくないと思つたので、咄嗟(とつさ)に思ひついた事を言つただけで、事實は京都に青年の友人など一人もゐなかつた。


 しかし、今の青年にはこれまでにはなかつた珍しい經驗(けいけん)だが、生活するに充分な資金面のゆとりがあつたので、もしもの時にはいつでも宿泊するのが可能だといふ安心感はあつたものの、それでも出來るだけそれは使はないやうに心掛けなければならなかつた。
 さうして、青年を孤獨に驅立てるものは、寧(むし)ろ、あの女性と逢ふ術(すべ)がないといふ事が何よりも勝(まさ)つてゐた。


 青年は、繁華街の方へ歩きながら淋しさを紛(まぎら)す可く、深夜營業(オオルナイト)の喫茶店で一夜を過ごす事を決めて、とある喫茶店へ入つたが、深夜族の若者達の中で青年の孤獨はより一層つのるばかりだつた。
 それを忘れるやうに、青年は周(まは)りの男女(アベツク)達の樣子や、店内の風景を素描(スケツチ)し始めた。
 その作業に取りかかつた時、青年は周圍(しうゐ)の人々の奇異な視線も氣にならなかつたばかりか、汚辱に塗(まみ)れた世界から完全に切り離されて、一種の法悦にも似た境地に達してゐた。
 最早、如何なるものも、この世から青年をひき離す事は出來ないかのやうだつた。
 青年は、勢ひに任せて幾枚もの素描を仕上げて行つた。


 その中の一枚は、男女(アベツク)が卓子(テエブル)を間(あひだ)にして向ひ合つて坐つてゐて、卓子の上には空想の燭臺(キヤンドル)が描かれてあり、その炎は二人の周圍を明るく仄々(ほのぼの)と温かく照らして、何か物語めいた繪になつてゐた。


 次の繪は、店内を隈(くま)なく寫(うつ)しとつてゐたが人物は一切排除されてゐて、しかもその店内は家庭的な雰圍氣さへ漂つてゐる繪だつた。


 また次の繪は、窓越しに見える外界の夜景と室内の男女の實像(じつざう)と、その男女が虚像として窓硝子に映る交錯した繪だつたりした。


 さうして、それらの素描(スケツチ)が六枚ぐらゐ出來上がつた時、給仕(ウエイタア)が水を注ぎに來た。
 その男は、先程から近くを通る度に青年の繪をちらちらと見てゐて、何かさういつた方面に興味があるらしかつた。

 「學生さん?」

 「いえ、違ひます」

 降り注がれた突然の言葉に、青年は驚いて給仕を見上げた。
 身形(みなり)からすると、支配人かも知れなかつた。
 
 「近く、京都畫壇で、新人賞の一般公募がありますが、それに出品されるのですか」

 「いいえ」

 青年は戸惑つた。

 「よろしかつたら、この店を描かれた繪を譲つて戴けないでせうか」

 「かまひませんよ」

 「本當ですか! 御覧のやうに、殺風景な店ですから、助かります」

 まだ三十歳の後半かと思はれる感じの好い男で、口髭をたくはへてゐて、それは貫録を見せようとする爲か、あるいは個人の趣味なのかは解らなかつたが、その細身には貫録こそないが、彫(ほり)の深い顏に良く似合つてゐた。


 その男が他の客の所へ行つた後、青年はもう素描は止めて繪具を取出した。
 今までの六枚の素描を完成させる事に集中した。
 青年は普段から似顏繪を描いてゐる所爲(せゐ)か、風景畫やその他の人物像を描く時、素描だけで止めておいて、後は全く違つた別の場所に行つて心像(イメエヂ)を擴げながら、仕上げをするといふ創作態度を取るやうにしてゐた。
 青年は、(しやじつ)の爲の寫實は好まなかつた。
 かといつて、抽象畫(ちうしやうぐわ)も嫌ひだつた。
 

 嘗(かつ)て、繪畫(くわいぐわ)は寫實に近づかうとしてゐた。
 さうして、十九世紀になつて漸(やうや)くそれが完成するかに見えた時、
寫眞機(カメラ)の出現によつて繪畫はその方向性を見失いつつあつた。
 その反動として抽象畫が擡頭(たいとう)して來て、寫眞(しやしん)に撮れないものを描かうとし出した。
 しかし、それも二十世紀後半の科學力の前に、繪畫はそれまでの領域を奪はれて行き詰まつてゐるといふ有樣であつた。
 

 青年はそれらの事を考へた時、繪畫として藝術性を失はずに描く事が出來るのは、心象風景しかないと思つた。
 いや、それさへも現代の寫眞技術をもつてすれば、、不可能な事はなくなつてゐるだらう。
 けれども、青年は表現方法として、どうしても描くといふ行爲を捨てる事は出來なかつた。
 勿論、寫眞の藝術性を否定はしなかつたし、繪畫の方が藝術として寫眞よりも上だとも思つてゐなかつた。
 ただ、止み難い何かが青年をしてそれを爲()させしめてゐるだけで、理由などはなかつた。
 青年は、ひたすら自らの道を求めて油繪を仕上げて行かうとした。
 生憎、持ち合せの畫布(キヤンバス)が三架しかなかつたが、明方近くになつてそれらは完成した。





 青年は虚脱状態になつて、暫くうとうとと微睡(まどろ)んでゐた。
 どれほど經()つたか、青年は周圍(しうゐ)の人のざわめきに目を覺()ました。
 青年の坐つてゐる卓子(テエブル)以外は、他の客でごつた返してゐた。
窓の外から窓掛(カアテン)越しに光が洩れてゐて、各(かく)卓子(テエブル)の上の珈琲の香氣がゆらめいてゐた。
 朝の通勤途中に、人々は輕い腹ごしらへを兼ねてひと時を過ごしてゐるのだらう。



 ヴイヴアルデイの『調和の靈感』の一曲がかすかに流れてゐた。
 店臺(カウンタア)の方を見ると、支配人と思はれる先程の男が青年の目と合つて輕く頭を下げた。
 青年も釣られて會釋(ゑしやく)をした。
 どうやら氣をつかつて、青年の周りには出來るだけ人が集まらないやうにしてくれてゐたやうである。


 店内の時計を見ると、八時過ぎであつた。
 卓子(テエブル)の上の繪は――特に最後に仕上げた繪などは、まだ乾いてゐなかつた。
 周圍の客が、その繪に見入つてゐた。
 青年は、それらのに繪に署名(サイン)を記した。
 隣に坐つてゐた髪の長い若い女性が、その樣子をぢつと見てゐた。
 九時近くになると店の客も減つて來て、それを見計らつたやうに支配人と思はれる男が青年の側へやつて來た。

 「出來上がつたやうですね。

 さう言つて青年の前に、珈琲と麺麭(パン)を出し、

 「どうぞ、召し上がつて下さい」
 
 青年は恐縮した。

 「忙しい時に、濟みません」

 「もう大抵のお客様は出勤の時間ですから、これからは暇(ひま)になる一方ですから、構ひませんよ」

 青年は、遠慮なく珈琲と麺麭に手をつけた。

 「繪を拜見させて下さい」

 「どうぞ」

 青年は照れ臭さうに答へた。

 支配人はそれぞれの繪を見ながら、感心したやうに改めて青年を見た。

 「この店内を描いた繪を、譲つて戴けませんか」

 「よろしければ、全部、置いて行きますよ」

 「全部だなんて、とても店の方で買ひ取る事はできません!」

 「すべて差上げます。どうぞ受取つて下さい」

 支配人は、一寸考へ込むやうにして、

 「解りました。暫くお待ち下さい」

 と云つて、店臺(カウンタア)の方へ戻つて行つた。


 隣の席の女性は、相變らず青年の方を見てゐた。
青年には心當りがなくて不審に思つてゐたが、やがて支配人が再び青年の前に現れて、

「恐れ入りますが、奧の事務所へいらして戴けませんか」

と言はれたので、青年は吃驚して、

「なんでせうか」

「お話があります」

「それでしたら、ここで伺ひます」

青年はきつぱりと言つた。

「判りました」

さういふと、支配人は名刺を差出した。

「僕は名刺を持つてゐませんので」

青年がさう断ると、支配人は卓子の上に紙袋を置いた。

「失禮(しつれい)かとは思ひますが、これは氣持です。受取つて下さい」

「僕は、そんな心算(つもり)は……」

「どうか受取つて下さい。とてもこれらの繪に見合ふ金額では、ありませんが」

青年は困惑した。

「でなければ、私どもの方としましても、この繪を受取り悪(にく)くなりますので」

「さうですか、それでは遠慮なく戴きます」

青年が紙袋を取ると、かなりの手應(てごた)へがあつた。

「中をあらためます」

支配人が肯首(うなづ)くと、青年は紙袋の中を見た。

「こんなに!」

「この繪の一枚分にも相當(さうたう)しないぐらゐで、お恥づかしい限りです」

青年は呆氣(あつけ)にとられた。

「他の二枚の繪は、當方で預からせて貰ひます。店に飾つておきますので、賣れましたら、その代金は送りますから、お住ひをお聞かせ下さい」

「家はありません」

「さうですか、それでしたら、一切を私どもが預かります。繪が描けましたら、また、こちらへ送つて下さい」

「はあ、その節はよろしくお願ひします」

青年は禮(れい)を述べると立上がつて、要らないといふ珈琲代を拂つてその店を出た。


何か狐に化かされたやうな氣持で、青年は京都の街を歩き始めやうとした。

「あのう……。

その時、急に後ろから聲がして青年は振返つた。
今出て来たばかりの店で、青年の隣の席にゐた長い髪の女性が立つてゐた。

「日向、忍さんではないでせうか」

「さうですが」

「やつぱり」

「なにか」

女性は安心したやうに、

「蝦夷美さんを――中村蝦夷美さんを、ご存知ですわね」

青年は、その名前を耳にして胸が騷いだ。

「わたくし、彼女の幼馴染で、菊池陽子と申しますが、彼女の事でお話がありますの。

青年が途惑つてゐると、

「『シンホニイ』へ行きませう!

陽子はさう言つて歩きだした。
青年はあの女性の事で心が動揺してゐたが、それでも何故この陽子といふ女性が自分と蝦夷美との事を知つてゐるのか、さうしてもし蝦夷美が自分との事を、この陽子といふ女性にどれだけ詳しく話したにせよ、どうしてそれが自分だと解つたのか不思議に思つた。

「何を考へていらつしやるの」

「どうして、僕の事が解つたのかと思つて」

青年は素直に言ふと、

「それは簡單ですわ。去年、彼女は貴方と別れてからも、何度となく『シンホニイ』へ行つてましたのよ。そこで店の人から、店に飾つてある繪が貴方の描いたものだと聞かされて、わたくしもその繪を見てゐたものですから、先程、貴方の繪を見て、特に署名を見た時、間違ひないと思つたのですが、それでも確信がもてなくて……」

青年はそれを聞くと、何か運命の絲に引きつけられるやうな氣がして、

「さうだつたのですか。それで判りました」

青年はあの女性の事が氣がかりだつたので、早く消息を聞きたいと思つたが、また、聞いてはいけないやうな氣もしてゐた。


『シンホニイ』の店に入つても、青年は聞かうか聞くまいか迷つてゐた。
開店したばかりなのか、客は青年と陽子の二人しかゐなかつた。
店の主人が、二人を見て珈琲を運んで來た。

「お久しぶりね」

「ご無沙汰してゐます」

青年がさういふと、

「貴方の繪が賣れましたわよ。

女主人はさういつて、卓子(テエブル)の上に紙袋を置いた。
青年が默つてゐるので、

「最初は渋つたのだけれど、どうしても、と仰有(おつしや)る方がいらしたので、その方に譲つてしまつたの。いけなかつたかしら?」

「とんでもない」

「さう、良かつたわ。また繪が出來たら、持つていらつしやいな」

「どうも有難う御座います」

青年は封筒の中を見て、一割の二萬圓(にまんゑん)を女主人に渡した。

「受取つておきます。

女主人は、さつぱりした氣性だつた。

「ところで、陽子さん。今日は蝦夷美さんはいらつしやらないの」
陽子は青年の方を氣にしながら、

「彼女、流産してからといふもの、體調(たいてう)があまり好くないらしいの」

「さう、蝦夷美さんも大變ね。ぢや、ゆつくりして行つて下さいね」

女主人は行きかけて、

「さうさう、なにか希望曲(リクエスト)はありません?」

「モオツアルトなら、なんでも構はないわ」



二人になると、青年は待ち兼ねたやうに陽子に訊いた。

「流産されたのですか」

「えゝ、八月の暑さに參(まゐ)つてしまつたらしいの。そればかりが原因ではないらしいのですが……」

「どういふ事ですか」

「それを言はうと思つて、どれほど貴方を捜したか、お解りになつて! 一體(いつたい)、何處(どこ)にいらしたの、今まで」

青年は煙草を銜(くは)へながら、

「京都にはゐませんでした」

「どれだけ捜しても、見つからない譯だわ。

陽子は擬(もど)かしさうに、

「彼女、離婚するかも知れなくてよ」

「眞逆(まさか)!」

青年は言葉が續かなかつた。

「元から、今度の彼女の結婚は失敗だつたのよ。だつて仕事の力關係で、親同士が勝手に決めた、政略結婚だつたんですもの。愛情なんて湧く筈がないわ

いつの間にか、モオツアルトの音楽が流れてゐた。

――永遠の安息を(レクイエム)

「彼女の實家(じつか)は、新潟で呉服屋を營んでゐるのだけれど、いくら新潟では老舗(しにせ)だといつても、京都に比べれば問題にならないわ。それを京都に負けまいと思つて、事業を廣げ過ぎたのね。結局、娘を人身御供(ひとみごくう)にして、資金の援助(ゑんじよ)を頼んだの。縮小に次ぐ縮小で潰(つぶ)れずに濟んだけれど、もう以前のやうな勢ひはなくなつてしまつたわ。彼女の旦那様の會社の名前がなければ、まともな所とは取引出來ないのですものね。彼女にすれば、何處にも行き場がなかつたのよ」

「後悔してゐるんですか、彼女」

「蝦夷美も努力はしたのよ! 傍(はた)で見るのがつらい程だつたわ。

陽子は、青年の意を介さないかのやうに、

「でも、わたくしも好きになれないわ、蝦夷美の旦那樣。だつて典型的な利己主義者(エゴイスト)だもの。妊娠したつて聞いた時、これで少しは家庭を顧(かへり)みるやうになるかも知れないなと思つたのだけれど、今度のやうな事になつて、もう終りね。

青年は複雜な氣持だつた。

「彼女、もう子供が産めない身體(からだ)になつたつて、哀しさうな顏をしてゐたわ。




――憐れみ給へ(キリエ・エレイサン)

青年はやり切れなかつた。

「多分、彼女は離婚させられるわ。かうなつたら、もう蝦夷美がいくら頑張つても無駄ね」

陽子は結論をいふと、珈琲を飲み乾した。

「僕に出來る事は、ありませんか」

「それは貴方が考へる事よ」


青年は陽子と別れて京都の街を歩きながら、陽子の言葉を反芻(はんすう)してゐた。
どうすれば好いのか、青年には解らなかつた。
苦しいのは自分だけではなかつた。
今すぐに逢つて、抱き()めてやりたかつた。
しかし、逢はない方が好いやうに思つて、青年はあの女性の入院してゐる病院へ花束だけを送り屆けて、ただ只管(ひたすら)あの女性が幸福にならん事を願ひつつ、京都の街を去つた。


青年の世界は、廣(ひろ)がつた。
この空の下、何處へ行つてもそれは青年の生きるべき土地であつた。
だが、悲しみだけは青年の側を離れる事はなかつた。
秋が過ぎて、冬の冷たさを背中に感じるやうになつ時、青年は新潟のあの女性の實家(じつか)へ數枚の着物の下繪を送つた。


その圖柄(づがら)が世間で評判になつて、誰が作者なのかといふ事が一部の好事家(かうずか)の間で囁かれ出した頃、京都畫壇や東京の畫壇でも一青年の繪が入賞し、新聞紙上やその他の報道機關で未曾有(みぞう)の騷がれ方をし出した。
それは青年がこれまで立寄つた事のある、高山の民宿の主人が東京の畫壇へ、大橋驛長が京都の畫壇へと、それぞれが青年には内緒で送り續けてゐたといふ、謂()はば青年の才能を惜しんだ人達の好意による入賞であつた。


青年の行方を記者達が取材に廻り、青年の立ち歩いた處(ところ)が明確に世間の前に報(しら)された。
一部の人にしか知られてゐない京都の『シンホニイ』や、他の喫茶店とかも取材を受けたかと思ふと、ある寺の紹介が雜誌に載()つたり、高山の民宿や京都にそれ程も離れてゐない驛が有名になつた。
最早、青年の繪は彼の手を離れて、投機の對象(たいしやう)となつてゐた。


その頃、青年は上高地の奧の雪に埋れた山小屋で、放浪に疲れた身體を横たへてゐた。
その腦裡(なうり)にはあの美しい女性の姿が、かた時も離れる事はなかつた。










 青年は畫布(キヤンバス)に向つて、あの女性の繪を描いてゐた。
 青を基調にして、もう殆ど出來上がつてゐた。
 
 ――青い女性

 青年は、この繪をさう呼んだ。


 青年が名古屋に一軒の家を借りて、もう半年が經()つた。
 半年前、遭難に遇()ひさうな上高地の奧から降りて來た青年は、世間の人々から熱狂的な支持で受け容れられた。
 青年は、高山でそれまでの經緯(いきさつ)を知ると、素直に喜んだ。
 京都であらためて授賞式が催(もよほ)され、それが終ると東京からも呼ばれた。
 一時、京都畫壇に受かつた者が東京の畫壇でも賞を受けるのはどうかといふ問題が一部の審査員から提出され、京都畫壇と同等に扱はれるのが不快だといふ者もあれば、自分の押す畫家に賞を與(あた)へたいと考へた銓衡(せんかう)委員もゐたと噂されたりもしたが、沽券にかかはるといふやうな料簡の狹い事を言はずに、良いものは良いといふ評價に從はうではないか、といふ大御所の一聲で沙汰やみになつた。
 

 青年はどちらの畫壇も重く見て、住ひを名古屋に構へたのだつた。
 青年は病魔と鬪ふやうにして、創作に沒頭した。
 完成した繪は、相變らず京都の喫茶店や高山に送られて、それらは青年の繪が飾つてある事が賣りものにさへなつてゐた。
 青年の描いた繪は、展示されると直ぐに賣れた。
 嘗(かつ)て、街角で描いてゐた似顏繪さへも特別時價(プレミア)がついた。
 しかし、青年の築いた畫家(ぐわか)の地位は、畫壇からといふよりも、むしろ一般の人々によつて成()された結果だといへた。
 青年は急に遽(あわ)ただしくなつた身邊(しんぺん)にも疲れを見せる事なく、あらゆる訪問者とも會つて話を聞き、また雜誌社から依頼された座談會などにも努めて出席してゐた。


 ある日、菊池陽子から手紙が來た。
 青年は、その内容に驚いた。
 あの女性の良人が、一箇月前に歐羅巴(ヨウロツパ)で飛行機事故の爲に客死(かくし)したといふ事が書かれてあり、それまでのあの女性の苦勞が綿々と綴られてあつた。
 

 あの女性は退院後、子供の出來ない身體(からだ)になつた事を理由に、良人側から離婚を迫られたが、自分の行き場所のない事を知つてゐたのか、他の女性に子供を産ませてもかまはないからといふ事で、離婚だけは許してもらつたが、しかし、それは屈辱的な夫婦生活だといへた。
 陽子はその事を知つた時、思はず涙ぐんだと書いてあつた。


 そんな時、良人側の會社も石油危機(オイルシヨツク)の煽(あふ)りを受けて、業界そのものが行き詰まりだした。
 ところが、青年の描いた圖柄(づがら)のお蔭であの女性の實家の着物が世界的な人氣を呼び、急に活氣を帶びると、良人の家はあの女性に掌(たなごころ)を返したやうに大事に扱ひ始めた。
 

 それでも、あの女性は何ひとつ恩にきせる譯でもなく、これまでの仕打ちを恨んだりもしなかつた。
 就中(なかんづく)、良人はあの女性と結婚する前から交際してゐた女がゐて、その女に子供まであつた事が判つたが、あの女性はそれについても何も言はなかつた。
 

 その良人は、あの女性の實家から資金を借りて、事業の歪みを直し、信用を取り戻す可く歐羅巴(ヨウロツパ)へと旅立つた矢先の死だつたといふのである。
 陽子は、蝦夷美からこの事を貴方に口止めされてゐて、どうしようかと迷つた末(すゑ)にこれを書いたのだとつけ加へ、最後に、蝦夷美は自分の役目から解放されたやうにして、一週間前に實家の新潟へ歸つたと結んであつた。


 手紙を讀み終へて、青年の心は亂(みだ)れた。
 もしかして、あの女性と新たな一歩が蹈み出せるかも知れないと思ふと、青年は今すぐにでも新潟へ行きたくなつた。




十一
  



 青年は、もう誰からも、何ものからも邪魔される事はないと思つた。



§





文章に効果音を入れて

最近、MIXIなどのブログに發表された日記や詩あるいは小説などの文章を讀む時に、BGMとして自作(オリヂナル)や著作權の切れた歴史的な作曲家の音樂を流すのを、面白いのではないかと試みてゐるのだが、周(まは)りから大したコメントもない處(ところ)をみると、可もなく不可もないのだらう。


筆者はそれらをYAMAHAの「QY100」で入力してゐるから、レコオドやCDを取り込んで著作權上の問題を起す事もないと思はれる。
けれども、その音樂に映像を一緒に流す時、歴史上の畫家や個人の撮影した映像を流すのならば、支障(トラブル)はないものと思はれるが、ただ、歴史上の畫家の場合でも、本から複寫(コピイ)したり、個人の映像と雖(いへど)もそこに通行する他の人が映つてゐた場合は、許可を受けた方が良いので注意が肝要であらうかと思はれる。


そこで映像に關して、寫眞や動畫、繪(イラスト)などを募集したいと思ひます。
これは以前、『映歌』として發表したのですが、反應(はんおう)がなかつたのでその儘となつてゐたもので、これを再び呼びかけたいと思ひます。


考へて見れば、こんな事を書いてこれが完成したら、次は朗讀をしなければならなくなり、その次は動畫による物語を制作しなければならなくなるのではと、恐ろしくさへなつて來ました。


§






散文考
「探偵小説の文章の技巧(テクニツク) 


 『愛ニ飢タル男』の全四部作の内の第二部(さすらひ)を發表する事が出來た。
 何度もいふやうに、この作品は短歌が先に完成されてゐて、それから十年かけて散文が追加された事になるのだが、よく考へて見るとその切掛けは、小學生の時に、落合直文(1861-1903),

『孝女白菊の歌』

の一部を讀んだ時、その美しさに感動して、その全文を讀破したいと願つたのだが、それは未(いま)だに成就されてゐず、その作品は『平家物語』のやうに七五調の長詩で、その事がこのやうな形態を生みだす母體(ぼたい)となつたのかも知れない。


 これは以前にも何かに書いた事だが、それ以外にも『伊勢物語』や、シユウマンの『詩人の戀』とかシユウベルトの『冬の旅』などとの出合ひで、これらの經驗からその集大成として、


 『敍事短歌』

 と稱(しよう)する形式になつたのだと思ふが、この「愛二飢タル男」といふ作品は、短歌と同時に散文が完成されてゐた譯ではないので、短歌に散文を追加するといふその作業は極めて困難で、ともすれば解説のやうになり兼ねない危險を孕んでゐた。
 

 事實(じじつ)、文章が少ない個所は、解説だと言はれても返す言葉がない。
 けれども、短歌と短歌の空間を物語で埋めるといふ作業は、探偵小説の作家が詭計(トリツク)を考案して、それを作品化する爲に詭計(トリツク)へ到る過程を考へ、それも伏線をうまく配置しながら、主人公の探偵によつて詭計(トリツク)を暴いて大團圓(だいだんゑん)といふ結末を迎へる事になるのだが、そのどちらもが、原因、即ち短歌に到る過程と、殺人事件を解決する過程とが同質のものであると考へられると思はれる事である。
 

 最初に殺人事件から始まつて、多くの探偵小説の支持者(フアン)の度肝を拔いた『刑事コロンボ』だとて、詭計(トリツク)の出し方が違ふだけで、これらは「帰納法(きなふはふ)」と「演繹法(えんえきはふ)」といふ分類のどちらかに組込まれる事になるのだらうが、面白いのは、素晴らしい探偵だと作品中で警察や世間に認められて褒()められる樣を描く行爲は、それをすればするほど主人公は名探偵になるのだが、實(じつ)はそれは原作者が自分で自分を褒める事になつてゐるといふ事で、自畫自賛(じぐわじさん)も極まつた事になる。


 ところで、この事によつて一つだけ理解出來る事がある。
 それは文章の要諦は探偵小説的な謎を設定して、それを解くやうに書き進めるといふ事で、それを納得出來、普遍性を手に入れれば充分に滿足した文章が書けるのだと思はれる事で、文章作法として身につけておく必要があらうかと思はれ、それはなにも文章だけには限らず、物語を表現するといふ樣式(ヂヤンル)であるならば、藝術全般にいへる事ではなからうかと思はれる。


 それと同じやうな事が、黒澤明(1910-1998)監督の「生きる」といふ映畫(えいぐわ)の中で、市役所の市民課の課長として勤める主人公が、全篇の半ばで癌によつて死んでしまひ、葬式に出席した彼の部下たちがどうして課長が豹變(へうへん)したのか不思議に思つて、それをそれぞれの部下が關はつた挿話(エピソオド)を總合して推理してゆくといふ強い緊張感(サスペンス)を與(あた)へる事に成功してゐる。
 何も殺人事件の詭計(トリツク)を見破るだけが推理の醍醐味ではないやうに思はれる好例だと言へよう。


    二〇一〇年八月七日午前四時二十分 








     續きをどうぞ

第三部(Part Three)たましひ(Soul)
http://murasakihumio.blogspot.jp/2012/09/tanka-epiclove-hungry-manaiueopart.html

     
     始めからどうぞ

第一部(The first section) ゆきづり(Love of casual)
http://murasakihumio.blogspot.jp/2012/01/mozart-requiem-kyrie-yamaha-qy.html