敍事短歌(Tanka epic)
『愛二飢タル男Love-hungry man(AIUEO
) 』
第一部(The first section)
ゆきづり(Love of casual)
表紙
中表紙
§
『愛ニ飢タル男』縁起
YAMAHA QY70 motion 1
この作品は一九六九年に上梓したもので、出版するに當つて現代假名遣で書かうか、それとも歴史的假名遣で發表するかを迷つてしまつた。
作者としては歴史的假名遣で送り出したかつたのだが、結局世間に迎合してしまつた。
作者が歴史的假名遣と出合つたのは小學二年生の時で、祖母から下敷きに「○タラウ」と書かれたのが最初であつた。
「タラウ」と發音してから「たろう」と頭の中で唱へ、軈て「たろう」と發音してから「タラウ」と書く不思議な感覺が、心地よさにさへ感じられるやうになつて、時代背景としては、まだ文庫本にも歴史的假名遣が主流であつた事も手傳ひ、必然的に歴史的假名遣を使用するやうになつた。
にも拘はらず、若かつたとは言へ、作者は現代假名遣でこの作品を發表してしまつた。
その意味ではこの作品は、
「お知えて」
などの當字や、辭書に頼つたばかりに起きた、
「ちじ」
といふ氣に入らない表記もあり、筆名さへ別の名前で發表された上に、現代假名遣で書いたといふ妥協の産物であつた。
忸怩たる思ひである。
そんな思ひもあつて、この後に『完全版』を創つた。
勿論、歴史的假名遣でである。
和歌は幾首かの變更も餘儀なくされたが、發表を愉しみに待つてゐてもらへるならば、こんな作者冥利に盡きる事はない。
二〇〇一年十一月二十五日午前五時
§
Original『Motion1(竪琴・harp)』曲 高秋美樹彦
前 書
この作品を世に問ふのは、これで二度目である。
處女出版作に當つてゐるこの本を再び世に問ふに際して、筆者は改稿せざるを得なかつた事に、自身の力のなさを思ひ知らされてゐる。
この作品が歌集でありながら散文を必要としたのは、處女出版の時も同じであつたのだが、その時には散文は完成してゐなかつた事と、更に大きな現代假名遣と歴史的假名遣のどちらを使用するかといふ問題があつて、まだ未熟だつた筆者はその時どちらとも考へてゐず、といふよりも安易に現代假名遣の儘で出版してしまつたのである。
御存知のやうにこの作品は、
「あいうえお」から、
「わゐうゑを」
「ん」
までを十首に折込んだ短歌で、これを『折句』と言つてゐるのだが、それを四囘繰返して四十首からなつてゐて、更に一連の物語としたのである。
そこで問題になつて來るのが、
「や行」
「わ行」
である。
現代假名遣では、
「やゆよ」
「わを」
「ん」
しかなく、假に文字を入れたとしても、
「や行」は「やいゆえよ」で良くても、
「わ行」は「わいうえを」というふ譯には行かず、さりとて、
「わいうえを」
とすると、現代假名遣で「を」から始まる言葉がないし、「を」だけを歴史的假名遣に戻す譯にも行かないので、それなら一層の事、總てを歴史的假名遣に戻さうといふ事になつた。
幸ひ、筆者は歴史的假名遣が好きであつたので、以前から惱んでゐたこの問題は解決したのだが、さうすると「や行」が困つた事になつて來た。
「あ行」の「い」
「や行」の「い」
は暫く問はないにしても、
「あ行」の「え」
「や行」の「え」
は違つたものだと言ふ事が解つた。
それは上代特殊假名遣といふ表記法を使用してゐた萬葉時代以前の頃にあつて、この問題は當然、
「や行」の「い」
「わ行」の「う」
にもあるのだらうが、それをどうしたものかと考へた。
そこで出來るだけ、
「や行」の「え」
と解つてゐるものはそれを生かし、それがどうしても出來ない時だけ、
「あ行」の「え」
を使はうと思つた。
勿論、その他の問題もおなじである。
猶、その問題は別に後から述べる事にする。
その結果、前囘の發表されたものと今囘とでは、短歌そのものに違つた形の歌が何首か出來てしまふ事になつた。
筆者は、以前よりも今囘の方が優れてゐると思つてゐるのだが……。
筆者は、これを決定版にしたいと思つてゐる。
著者記す
一九八一年昭和辛酉年霜月十七日
§
第一部(The first section)
ゆきづり(Love of casual)
それは多分まだ春も淺(あさ)い午後であらうか、まるでちろちろと穩(おだ)やかな陽射しの降りたまる音が聞えでもするやうな幽玄な寺町の風情(ふぜい)の中を、青年はいつも何かを求めなければ生きて行けないやうな都會のめくるめく生活から解放されたかのやうに、自然な生活それ自體(じたい)を味はつてゐるといふ事の安らぎを切なく感じとつてゐるらしかつた。
青年は今まで一度も味(あぢ)はへなかつた、このしつとりとした京都の寺々のたたずまひから漂つてゐる平穩(へいをん)に浸(ひた)つてゐるだけで、何か救はれたやうな氣にさへなつてゐるやうであつた。
放浪の生活の中で、京都こそは漸(やうやく)く青年に平安を教(をし)へた。
ここでは人生とか愛とか神に就いて惱まずに濟むらしく、青年のそれまでの翳(かげ)りを見せた顏から憂愁はぬけ出して、何處か希臘(ギリシア)神話の逞しさと太陽神(アポロン)の明るさをさへ漲(みなぎ)らせてゐた。
青年にとつて京都は日本の過去に於ける悲劇的な陰鬱な因果や人々の呻(うめ)き聲(ごゑ)の聞えて來さうな宗教的な匂ひではなく、唯、都會の生活に戻る事への倦怠(アンニユイ)を除けば、ひたすらに幽邃夢幻(いうすいむげん)の平穩(へいをん)として映つてゐるやうだつた。
古都のひつそりとした息づかひに、青年は息をひそめる事を惜しみなく思ひながら町竝(まちな)みを散策してゐた。
もう青年はこの京都でひと月を過してゐた。
その間(あひだ)、青年はこれまでと同じやうに、街角で似顔繪(にがほゑ)を描いて収入を得てゐた。
義務教育が終るや、この青年は直ぐ放浪生活に沒入して行つた。
青年にも父や母や兄弟があつたが、青年は肉親の事は一切考へないやうにした。
思へば、青年にはこの放浪が生前からの魂の宿命のやうな氣がしてゐた。
青年は、この京都から離れたくないと思つた。
それは、この京都へ足を蹈入(ふみい)れた時から感じられたものらしかつた。
かと言つて、京都へ來ても別に目的はなかつた。
何となく、古都の情緒(じやうちよ)を味はつて見たくなつただけである。
それには兔(と)に角(かく)、街を歩く事だと思へた。
青年はひと通りこの街の雜沓(ざつたう)にまみれてから、何處か京都のしづかな山奧の寺にでも行くのが一番だと思へた。
雪が懷かしく思はれるのでそれも見たかつたが、それも敢(あへ)てさうしなければならないやうな我慢出來ない理由が、この京都に差し當つて見つからなかつた。
京都の街に、大阪や名古屋や況(ま)して東京の街とは、まるで趣(おもむき)の違つてゐるといふ事を青年は感じた。
糅(か)てて加へて、青年にとつてこの街を離れにくい理由が、この京都を訪れたひと月ほど前に起きた。
あの日、青年は京都に違和感を抱きながらも好奇心に動かされて、人々の歩みに從つて行くと、やがて朱(あか)い大きな鳥居が眼の前に見えて來た。
それは青年が思つた通り、平安神宮のものであつた。
さうして、もしそこここに異人や日本の觀光客の姿が見えない靜寂につつまれてゐたならば、青年はここが天國に通じる門だと思はれた事だらう。
青年は自(みづか)らの歩みを確かめつつ、小さな石橋を渡つて平安神宮の鳥居を拔けた。
道の兩端(りやうはし)に美術館が建ち、木々はもう芽を吹いてゐた。
ふつと白いものが青年の目をよぎつた。
雪――。
青年は自分の希求して止まなかつたものが、今こそ手に入れられさへしさうな氣持になつた。
人々が一瞬白くなつたやうだつた。
青年は、雪が睫(まつげ)に觸れて消えるのを見たやうに思つた。
人々の動きが、美しく切れぎれに喘(あへ)いでゐるやうだつた。
兩端の美術館や正面の平安神宮は、身じろぎもしない。
この年の最後にでもなるさうな雪は、愈々(いよいよ)激しくなつた。
青年は、降りしきる雪の隙間の白くならない邉(あた)りを無性に切なく感じながら、白くなりつつある平安神宮の中へ入るのを止めて、京都會館の前の通りへと歩いて行つた。
京都會館を過ぎて、また、橋を渡つた。
川の流れの上に、雪が溶けるのを見た。
青年は切なくなつて、外套の襟を立てた。
青年の後ろ姿は、孤獨に滿ちてゐた。
青年の黒い外套が、白く光つてゐた。
太陽は雪の雲の上から、妙に明るく照り出してゐた。
橋を過ぎて暫く行くと、ひとりの女性が、何處から現れたのかといふ風にして、青年の眼の前を歩いてゐた。
それはまるで青年の未來に向つて、青年の歩むべき道を示してゐるかのやうだつた。
ちらつ、と女性が振り向いて、青年の目と目が合つたが、女性は靜かに歩き出し、青年は思はず立ち止まつた。
青年は、その女性の後ろ姿の悲しい樣子に、強い親しみと憧れを持つた。
あの人も孤獨なんだ。
青年は、その女性の過去が解るやうな氣がした。
その過去は、暗い悲しみに包まれてゐるに違ひなかつた。
青年はさう思ふと、後ろからその女性を抱きしめてやりたいやうな衝動に驅られた。
さうして、青年自身も、その女性に抱きしめてもらひたかつた。
しかし、青年はその女性の後をついて行かなかつた。
青年は、女性の出て來たと思はれる喫茶店のひとつに入る事で、僅かに自らを慰めた。
その喫茶店は小さかつた。
しかも、青年が扉を手前に開けると、モオツアルト。
青年は、孤獨な宇宙に放りだされたやうに感じて、思はずそこらにある椅子に坐つた。
給仕人(ウエイトレス)が来ても、青年は俯(うつむ)いたまま、なかなか註文(ちゆうもん)が出來なかつた。
「あのう、ご註文は?」
「雪」
青年が呟いた。
「ええつ?」
と給仕人が訝(いぶか)つた。
「ああ、濟みません。
青年は、放心から立戻つて言つた。
「珈琲を下さい」
名曲喫茶「シンホニイ」だと、燐寸(マッチ)箱を見て解つた。
青年は、この喫茶店を好きになれさうだつた。
あの女性が、何故この喫茶店に來たのか解るやうに思へた。
青年には、あの雪の中へ消えて行つた女性の後ろ姿が、決して腦裡(なうり)から離れる事はなかつた。
二、
あの日から、青年はその喫茶店へ、必ず一度は行くやうになつた。
喫茶店へ入る時、青年の胸は震へた。
ひよつとすると、あの女性が來てゐるかも知れない、と思つた。
そこで數枚(すうまい)の描き上げた繪(ゑ)を、店に飾つてもらつたりもした。
しかし、あの女性はひと月を過ぎても、青年の前に一度もその姿を現はさなかつた。
青年は、銀閣寺で時を過ごしてゐた。
青年は、その古い建物の佇(たたず)まひをみながら、自分はこの古都の街が氣に入つたからでもあるが、自分がこの地にひと月も留まつた理由は――この誰からも氣にされず、死なうが生きようがどうにでもなれ、と思つた自分が留まつた本當の理由は、あの女性に逢ひたいが爲(ため)、離れ去つてしまはないが爲だつたと思つた。
それは、旅に生き、旅に死なうとした青年には、殆(ほとん)ど稀有(けう)の事であつた。
三、
青年は銀閣寺を出て、「哲學の道」を歩いてゐるらしかつた。
折から降り出した雨に、青年はこのまま濡れて歩く事を決め込んだ。
――恐るべき大王(レツクス トレメンデ・Rex trmendas)
雨は爽やかに青年を包み込んだ。
が、まるで青年は、春にも拘はらず秋の雨に濡れてゐるほど、心が沈んでゐた。
青年には、周(まは)りあるのは秋ばかりで、春は遙か彼方にあるとしか思へなかつた。
丁度、あの女性が青年の戀人なはなれないかにやうに、暗い悲しみに鎖(とざ)されてゐた。
遠くの山々が、ぼうつとかすんで
青年の前にあつた。
四、
その日 、青年は近くの小さな寺の住職に、一夜を過ごさせてもらつた。
老いた住職の優しく人の良ささうな、それでゐて妙に艷のある顏を見て、その生き方に憧れながら、暫く青年はその住職と京都の街の話をした。
青年は この住職から部屋を借りて一人になると、その住職の自分に何の説教めいた事も言はなかつた事が、有難く思はれた。
青年は部屋で自分の過去に思ひを寄せて、現實をやり過した。
青年は雨が屋根をかすかに叩く音に唆(そそのか)されて、境内を出て、その侘びの心境に浸(ひた)つた。
あの女性の後ろ姿が、忽ち、青年の心に蘇(よみがへ)つて來た。
この閑寂が、青年には堪へ難いものになつた。
あらゆる理由のない悲しみや愁ひが、青年の心に忍び込んで來た。
切なくなつて歩き出すと、青年の耳に住職の唱へる念佛の聲が聞えた。
青年は胸の痛みに堪へながら、聲の聞える方へと歩いて行つた。
闇と闇の間には、闇よりも暗い木々の存在があつた。
青年は、自分もいつもあの状態なんだと思ひながら、木々のやうにひつそりと立ち盡してゐた。
やがて、明りの洩れてゐる部屋を見つけて覗くと、中には赤く今にも燃え盡きやうとしてゐる蝋燭(らふそく)が、青年の目に燒きついて離れなかつた。
蝋燭の火が雨と重なつた一瞬一瞬に、それは青年の胸に疼く程の淡い光を放つてゐた。
住職の姿の僅かに明るい部分が、その老人をして安らかさと、人を愛さうとする温かいものが感じられた。
五、
青年の目覺めはもの憂かつた。
朝といふのに暗く、雨がしとしとと青年の心を濕(しめ)らせてゐた。
青年は、住職に厚く禮(れい)を述べてから寺を出た。
それから程なく歩いて、青年は八瀬の里に出た。
山林を暗く染めてゐる雨は、猶も降り止やまなかつた。
いつまで續くか解らないやうな雨であつた。
青年の胸に、モオツアルトの旋律が流れて來た。
――妙なる喇叭の音(テイウバ・ミイルム)
青年は、俄かに雨の重さを感じた。
體(からだ)は重く、冷え切つてゐた。
青年は、とある小さな野原を横切らうとした。
その時、青年は急に自分の體が輕くなるのを覺えたかと思ふと、その場に立ち盡してしまつた。
それは、青年が野中に自分が追ひ求めてゐた女性が歩いて來るのを見つけたからである。
青年は、輕くなつた體が、また重くなるのを意識し出した。
もしかすると、女性は自分にも氣がつかずに、そもまま通り過ぎてしまふのではないかと思へたから……。
六、
しかし、青年の追ひ求めてゐた女性は、青年の姿を目に止めるや、青年の方へなんの戸惑ひも見せずに歩み寄つて來て、傘を差し翳(かざ)して青年を雨から守つてくれた。
「どうも、濟みません」
青年は、女性が何も言はなかつたので、まづ禮(れい)を述べた。
しかし、女性は無表情に、
「何も氣になさらないで」
と言つたきり、口を閉ぢた。
青年と女性は、どちらからともなく歩き出した。
女性は歩く時にも、立止つた時にも、いや、存在するといふ事がこの世の憂愁を象徴してゐるかのやうだつた。
青年は、その女性の總(すべ)てに同化出來さうだつた。
特に苦しみや悲しみは、喜びと違つて青年の心にも身體(からだ)にも、痛みを伴つて同化してしまへた。
青年は、その女性の悲しみの理由も知らないのに、それを感じて暗く沈んだ。
痛みが今の青年の存在の、總てであつた。
僅かに雨が青年の肩に觸(ふ)れても、痛みは増した。
女性がそれを感じ取つて、笑つて慰めた。
青年には、幸せの時に成(な)す術(すべ)が解らなかつた。
青年は苦しい笑ひをしながら、女性の笑顏(ゑがほ)が青年を慰める爲の女性の優しい心の表れである事を敏感に知つて、思はず涙ぐんだ。
「泣かれては、困ります。
女性は、母のやうに青年に言つた。
青年は、首肯(うなづ)きながらも涙を流した。
「あなたは、私を覺えてゐます?」
「えゝ」
「私もあなたの事は、なぜか覺(おぼ)えてゐますわ。ほんの數(すう)秒あつただけで、それも、ひと言も言葉を交さなかつたといふのに……」
青年は、涙を拭ひながら、
「僕は、今まで旅ばかりをしてゐました。さうして、ひと月以上も留まつた土地は、今まで一度もありませんでした。この京都を除いては……。
雨は二人を包むやうに降つてゐる。
「僕をこの京都へ留まらせたのは、貴女の存在を知つたからだと思ひます。どうしてだか、僕はこの儘(まま)、この京都から去る事が出來ませんでした。貴女ともう一度逢ふまでは……」
「さうでしたの。私もこのまま逢へないと、大切なものを失ひさうな氣がしましたわ。もしかすると、あの喫茶店にいらしてゐるかも知れないと、いつも思ひながらも、父の言ひつけで、厭(いや)な用事をさせられてゐましたの。でも、なんとかそれも濟ませましたから」
「もう逢へないかと、僕は思つてゐました。どうして、ここまで來られたのですか」
「厭な用事から逃れる爲に、ついここまで來てしまひました」
女性は青年に、眞實を言はなかつた。
しかし、嘘を吐いた譯でもなかつた。
女性は青年と始めて逢つた日の翌日から、年老いた養父母の言ひつけで見合ひを強ひられたのだつた。
女性は見合ひの相手の男性の世俗的な欲望と夢を語られて、その生命力に羨望とやり切れないものを感じ、『シンホニイ』の前で出逢つた青年の面影が、見合ひの相手の男性とはまるで違つた對象(たいしやう)して女性の心に浮び上がつた。
だが、養父母の薦めで、女性は見合ひの相手を斷わり切れずに交際の擧句(あげく)、なんとか斷わりはしたものの、結局、ひと月といふ期間をこの男に與(あた)へた事に堪へ切れなくて、この八瀬の里まで來たのであつた。
「貴方は、いつまでこの京都にいらつしやいますの」
「貴女とも逢へましたから、早い内に……。
青年は、暫(しばら)く考へ込んでから言つた。
「でも、判りません」
二人は、どちらもこのまま離れたくはなかつた。
といつて、どちらも二人がこの次に逢へる日を約束しようとはしなかつた。
二人の氣持が高まる程、何も言へなくなつた。
二人はお互ひを氣遣(きづか)ひながら、雨にぼやけた周(まは)りの景色の中で、花のやうに鮮やかに立つて見詰めあつた。
八、
二人は京福電車に乘つた。
二人にとつて長く短い時間を經(へ)て、『シンホニイ』の前へ辿り着いた。
扉を開けると、
――怒りの日(デイエス・イレ Dies Irae)
二人は驚き、立止つて手を握り合つた。
女性はあの青年との出逢ひの時、この『鎭魂歌(レクイエム)』に堪へ切れなくて喫茶店を出たのだつた。
青年は――青年もこの喫茶店に入つた時、このモオツアルトの音樂に泣き伏しさうになつたのだつた。
二人は、暗默の内にそれを諒解(りやうかい)した。
この音樂は、二人にとつて如何に大切なものであつた事か。
しかし、それは何と二人の出逢ひの悲劇的な暗示であつた事だらう。
二人は珈琲を註文(ちゆうもん)したものの、とても最後までは聞けなかつた。
――涙ながらの日(ラクリモサ)
二人は、その音樂の途中で喫茶店を出た。
小雨の降る古都の街を、二人は當(あて)もなく歩いた。
まるで夜の更けるのも、氣にしてゐなかつた。
若い男女が夜の遲くまで歩き廻つてゐたら、世間の思ふ事はどういふ事かは、二人には解つてゐた。
けれども、二人は自分達だけは、そんな風には見られないだらうと思つた。
たつた二度逢つただけにも拘はらず、二人の精神はそれほど昇華されてゐると思へた。
青年は女性に藝術の事を話した。
「可笑(をか)しな言ひ方かも知れませんが、僕は繪(ゑ)を描いてゐますが、別に畫家(ぐわか)にならうとする夢があつた譯ではありません。今の生活は街角で似顏繪を描いて賄つてゐますが、それは僕の前に神があつて、そこに書くのが、音符でも文章でもなく、繪であつたといふだけの事なんです」
「まあ、では貴方は、夢をお持ちになつていらつしやらないの?」
「僕も人竝みに夢は――でも、それは夢といふよりも、もつと何か違つたもの、例へば最高の女性から、最高の愛情が欲しいといふか、何かさいういふ渇きに近いものだとおもふのです。
女性はなにも言はなかつた。
さうして、女性は、青年にとつて自らがその最高の女性だあれば、と思ふかのやうに切ない痛みを身體に感じとつてゐた。
青年は、もしかしてこの女性が自分を愛してくれれば、これほど滿たされる事はないだらうと思つた。
「貴女の夢はどのやうなものでせうか」
青年は女性に訊いた。
「私ですか。私は一人の愛する人の爲に、妻となり、そして母となる事を夢見てゐる、平凡な女ですわ」
女性は優しさうに、しかし、生命の薄い控へ目な物腰で、その言葉は小さいが、それでゐて人を傾聽させずにはおかないやうな魂から發せられるやうな魅力を持つてゐた。
乙女の瑞々しさは」、身體の到るところに見られた。
涼しく可憐な瞳だとか、線の細過ぎない鼻梁(はなすぢ)だとか、小さく厚過ぎない朱唇(くちびる)だとか、身體がほつそりとして背は高く、媚(こ)びるやうな色氣は身につかないやうな、總てに無駄を感じられない最高の女性に思はれた。
青年は、その女性の存在に心を奪はれてゐた。
――この女性の死は、意外に早いかも知れない。
が、さう思つた時、青年はこの女性の存在が、切實に自分の失つてはならないもののやうに思はれた。
二人はそのまま歩いて、電車の乘場へ出た。
しかし、もう電車も走らない夜中も一時過ぎであつた。
二人は別に慌てなかつた。
二人は、今直ぐにどうなるものでもない、といふ事が解つてゐた。
青年は家を捨て、一切を捨てて一人になり切つてゐた。
女性は家を捨てられずに、親の決めた縁談に身を委ねる事になるかも知れなかつた。
二人の行方(ゆくへ)は、ほぼ決められてゐた。
恐らくこの女性は、青年とどんなに世俗的な戀(こひ)に陷(おちい)らなかつたにせよ、さうして、青年との事が兩親に知られなかつたにしろ、女性が一人で外泊した事に對(たい)しての叱りを受ける事だらう。
女性は、その爲に自分が結婚を急(せ)かされるやうな事になるかも知れないだらうと思つた。
青年は、世間に映るだらう自分と女性の事を思ふと、この女性を愛する純粹な氣持も、さう言つた事に穢(けが)されるのではないかと思つた。
だが、たとへ青年がこの女性の兩親に會つたとしても、この女性との交際を許してもらへる程の器量が、今の自分には備はつてゐるとは思へなかつた。
二人は、岡崎公園で、身じろぎもせずに一夜を過ごした。
明方、青年はこの女性を不幸にしない爲にも、結局、このまま別れるべきだと思つた。
青年は女性の住(すま)ひも聞かずに、
「また、逢ひませう」
と言つて、木々の間に身を隠した。
青年は、これであの女性との愛は永遠だと思ふ事にした。
しかし、太陽の眩しさに、忽ち、青年は負けてしまひさうだつた。
長い雨が止んで、夏が始まりさうだつた。
九、
その日、青年は京都から離れた。
青年は飛騨の高山へ行く汽車に乘つて、淺い眠りの中で幻を見た。
それはまだ青年が京都に殘つてゐて、あの女性と幸福さうに野原を笑ひながら走つてゐる夢だつた。
さうして、時々なにかの拍子で搖れる汽車の動きで目を覺まし、自分は京都に自らの愛すべき旅でのしみじみとした思ひさへも、あの女性の爲に捨てて、一體(いつたい)どれ程の月日を重ねたのだらうかと思つた。
さうかと思ふと、またいつしか幻の中に連れ去られては人の囁きで目を覺ますといふ繰返しの中で、自分はあの女性の爲なら、總(すべ)てを忘れて捨て去る事が出來ると思つたのに、いつの間にか、誰にでも解るやうなさすらひ人になつてしまつた。
青年は、不圖(ふと)自分は愛を求めてゐる筈なのに、それが得られさうになると、いつも逃げ出してしまふこの矛盾した自分を、一體、どういふ心算(つもり)なのだらうかと思つた。
いつも隱れん坊で鬼ばかりをしてゐる、少年のやうに思へた。
青年は、今頃はあの女性が自分の事を思つてくれてゐるのではなからうかと思つた。
さうして、その幻の中で永遠に生き續けようと思つた。
十、
緑の山襞(やまひだ)を縫つて、爽やかな朝の空氣の中を汽車は高山に着いた。
小さな田舎らしい造りの驛を降りて、青年が始めて目にしたのは情緒のある朝市であつた。
賑やかではなく、質素な市場の雰圍氣が青年の氣に入つた。
ここは京都ぐらゐの良さを持つてゐさうだと思つた。
夏の空は碧(あを)く、雲は白く光つてゐた。
青年は、あの女性と現實での生活をせずに、心で思ふだけで幸福を得ようとした。
自分は、その事に滿足してゐられるだらうかと思つた。
しかし、あの女性が他の男と愛のない結婚生活を營みながら生きて行く事に、自分ともども我慢できるか疑問であつた。
その事が、青年の最後の支へだつたかも知れなかつた。
青年は鯉の棲(す)む宮川の中橋を渡つて、昔の旅籠(はたご)の立ち竝んでゐる通りを歩いて行つた。
二メエトル程の幅の狹い通りから見上げた空に漂ふ雲を見て、
――自分は若しかすると間違つてゐたかも知れない。
と思つた。
十一、
青年は、今直ぐにでも京都に引き返さうかと思つた。
まだ、今なら間に合ふかも知れないと思つた。
漸く、第一部「ゆきずり」の完結が發表出來た。
この作品は一九六九年に出版されたもので、幾度も述べたのだが、最初は散文がなく短歌だけで發表されたものである。
それがこのやうに散文を伴つて發表するやうになつた經緯(いきさつ)は、すでに述べたのでここでは省くが、これを詩と散文の融合といふ意味から、
『敍事短歌』
と筆者が命名して、一九八一年には脱稿してゐて、完全版として出版する心算(つもり)であつたのだが、長らくそれもされない儘に放置されてあつた。
その理由の多くは資金的な問題が殆どであつたから、このやうに發表される場が與(あた)へられたのは嬉しい限りではあるが、それにしても、
第一部「ゆきずり」
が完結されたそれに對する周りの反應が極めて少ないので、一體(いつたい)、讀まれた方にどのやうに思はれてゐるのかが、非常に氣にかかつてゐる次第である。
なんだかこの儘、續けてもいいのかと不安になつてしまひさうである。
けれども、そんな事は氣にする必要はないのかも知れない。
發表する場はなにも一つだけではないのだから。
全くこんな時代が來るなんて有難い事である。
二〇一〇年八月二日午前四時
最近、MIXIなどのブログに發表された日記や詩あるいは小説などの文章を讀む時に、BGMとして自作(オリヂナル)や著作權の切れた歴史的な作曲家の音樂を流すのを、面白いのではないかと試みてゐるのだが、周(まは)りから大したコメントもない處(ところ)をみると、可もなく不可もないのだらう。
筆者はそれらをYAMAHAの「QY100」で入力してゐるから、レコオドやCDを取り込んで著作權上の問題を起す事もないと思はれる。
けれども、その音樂に映像を一緒に流す時、歴史上の畫家や個人の撮影した映像を流すのならば、支障(トラブル)はないものと思はれるが、ただ、歴史上の畫家の場合でも、本から複寫(コピイ)したり、個人の映像と雖(いへど)もそこに通行する他の人が映つてゐた場合は、許可を受けた方が良いので注意が肝要であらうかと思はれる。
そこで映像に關して、寫眞や動畫、繪(イラスト)などを募集したいと思ひます。
これは以前、『映歌』として發表したのですが、反應(はんおう)がなかつたのでその儘となつてゐたもので、これを再び呼びかけたいと思ひます。
考へて見れば、こんな事を書いてこれが完成したら、次は朗讀をしなければならなくなり、その次は動畫による物語を制作しなければならなくなるのではと、恐ろしくさへなつて來ました。
續きをどうぞ
第二部(Second
part)さすらひ(Wandering)
http://murasakihumio.blogspot.jp/2012/02/tanka-epiclove-hungry-manaiueosecond.html