2012年1月28日土曜日

獨りぽつちの狐(The Lonely Fox)&推敲の過程( Elaboration process)



(ひと)りぽつちの狐(The Lonely Fox)


雨の日に
狐が泣きます
コンコンと
ここは山道
けもの道
だます人さへ
通らない
なにがあつたか
知らないが
雨に濡れたら
毛が拔ける


風の日に
狐が叩く
コンコンと
ふもとの町の
無人の戸
だましたことも
あつたけど
よごれた川と
空の色
今ぢや住めない
あれた町


高原に
泉がひとつ
コンコンと
狐が呑みます
毒の水
よごれた地球の
血の色か
せつかく逃れた
山の奧
そのうちここも
住めまいに


晴れた日に
誰も訪ねて
コンコンと

狐が(なげ)
暗い穴
だますひとさへ
今はなく
よごれた大氣(だいき)
(のこ)された
そのうち地球も
住めまいに


曇る日に
狐が眠る
コンコンと
ここは山奥
穴の中
眠る狐の
見る夢は
きれいな水と
空と川
遊ぶ仲間の
ゐた昔



この童謠を大人になるであらう世界の子供たちに捧げます。


§


推敲の過程( Elaboration process)

 『獨りぽつちの狐』が出來るまで



 この作品は、昔、大藏司氏が言はれた通り、所要時間が六時間ぐらゐで完成したもので、最初、近所の幼稚園の子供が歸りしなに、今日あつたであらう、先生から話された動物の物語を母親に聞かせてゐた時、狐が人間を騙したといふ言葉が、鳥渡(ちよつと)氣になつて、なんとか惡者ぢやない狐は書けないものかと考へ、その儘(まま)

 狐が泣きますコンコンと
 ここは山道けもの道

 といふ言葉が浮かび、續(つづ)けて、

 ふもとの里の
 人間と
 遊んだことも
 あつたけど
 今は昔の
 物語

 と詠めたので、何とかなりさうだと思ひ、更に、

 廃墟と化した
 人の中
 汚れた川と
 空の色

 ここまで來ると、現在の環境問題や、人類の未來への危機感が捉へられるかも知れないと感じて、

 そのうちここも
 住めまいに
 雨に濡れたら
 毛が拔ける

 とすんなり詠めて、主題が判然(はつきり)とした。
 その結果として、冒頭も、

 雨の日に

 といふ状況設定も自然に出來たのだが、それではどうしてそれが必要かといふと、讀み進んで行つて、唐突に、

 「雨に濡れたら毛が拔ける」

 とするのが氣になつたからで、前振りの重要性を筆者の感性が要求したからである。


 さうすると、
 「狐」が「コンコン」泣くやうに、
 「雨」も「コンコン」と降る『懸け(かけことば)』に氣がつき、もつとないかと、

 誰も訪ねて
コンコンと

と捜し出し、

狐が眠る
コンコンと

とか、

泉がコンコンと

と次第に擬音語(オノマトペ)の活用も増えて行き、主題の時間設定も、

狐が嘆く
暗い穴

のあとに續く言葉も出來、

だます人さへ
今はない

といふ表現などによつて、遙か未來の事となり、

「雨の日・晴れた日・雪の日・曇る日」

といふ聯想は容易に出來上がつて、これらの言葉からこの作品の讀者を考へた場合、童謡となる事は當然(たうぜん)の結果と言へるが、それと同時に、

「廃墟」

といふ言葉も廢棄處分(はいきしよぶん)にしなければならないし、何よりも、この作品を童謡とだけで讀んでもらふには物足らない、と考へてゐたので、

「この作品を大人になるであらう世界の子供に捧げます」

といふ言葉を添へる事で、自ら納得する事にした。
何故なら、童謡は子供だけが讀むのではなく、大抵(たいてい)は、親や先生のやうな大人が讀んで聞かせるのだから。


ここまで來れば占()めたもので、あとは秩序だてた言葉の選擇を、これまで培つて來た感性で補ふだけであるが、その結果がどういふものであるかは、發表した通りである。


最後に、この詩で味はつて欲しかつたのは、定型といふものの、いろいろな意味での美しさを理解してもらひたかつた事で、これがこの詩の完成までの經緯である。







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