2012年9月7日金曜日

『愛ニ飢タル男』の表記法としての歴史的假名遣の價値

『愛ニ飢タル男』の

表記法としての歴史的假名遣の價値







一、その前に
     
言葉には、音による話す言葉と、文字による書く言葉とがあります。
 話す言葉は別にして、書く言葉には現代に於いてさへも、色々な表記方法があります。
 それらを列擧(れつきよ)しますと、

一、       漢字假名交り表記(羅馬(ロオマ)字及び外來語の使用も含む)
二、       漢字表記
三、       平假名表記
四、       片假名表記
五、       羅馬字表記
六、       外來語による表記

 の以上のやうになると思ひます。


 「漢字假名交り表記」は讀んで字の如く、漢字は勿論の事、平假名も片假名も、羅馬字さへも使用する事が出来ますし、就中(なかんづく)、外國語の使用も可能であります。
 しかし、漢文は假名の使用を否定し、逆に平假名文や片假名文や羅馬字文は、漢字の使用を否定してゐるのであります。


 「羅馬字表記」は、そのまま外來語も使用出來ますが、日本語としての羅馬字と外來語との區別とを表記し分けないと、讀み手に混亂(こんらん)を起させます。


 「漢字表記」は、總ての言葉を漢字で表記しようとしてゐる譯で、その意味では、「平假名表記」や「片仮名表記」にも通じる所があります。


 その中で、「漢字假名交り表記」だけを取出しても、

一、現代假名遣表記
二、歴史的假名遣表記

 この二種類があります。
 更に、この二種類は細かく分ける事が出來ますが、この章ではそれを述べません。
 その前に、『愛ニ飢タル男』の中で、前囘の初稿版と歌の内容さへ變つた部分を取出して、その理由を明らかにしたいと思ひます。
 猶、各歌の變つた部分でも、「てにをは」の變化があるだけの場合は、敢て説明を施(ほどこ)してはゐません。


 先づ、第一部の『ゆきずり』の冒頭の、

 あ あえかなる
 い 愛しき人の
 う 後ろ影
 え えて忍ぶれば
 お 置きどころなし

 この歌の、
 
 『愛しき』は「愛」といふ讀み方や、「愛()い奴」と讀める所から、「あ行」であると解る。

 『えて忍ぶれば』の「えて」は「得て」であり、「得()」は「得()る」とも讀み、「わ行」の「ゑ」とは別のものであるといふ所から、「う」といふ文字のない「や行」でもない事が解り、「あ行」であると思はれます。
 但し、「わ行」かも知れない部分が皆無といふ譯ではないやうに思はれます。

 『置きどころなし』の「置き」は、「わ行」の「を」ではなく、「あ行」の「お」であり、この歌は奇()しくも、初稿版の時と同じ歌の儘で使用出來る、幾つかの歌の一つであります。
 但し、それは、

 「か行・さ行・た行・な行・は行・ま行」

 は殆どを除いて、初稿版の儘の歌で使用されてゐます。
 變つたのは、

 「あ行・や行・ら行・わ行」

 の歌の場合です。


 次は「や行」です。

 や やはらかく
 い 誘(いざ)す痛みや
 ゆ ゆくみづの
 え (えき)なく過ぎて
 よ 世()の戀(こひ)と消()

 この歌は初稿版では、

  やはらかき
  いたみを胸に
  ゆくみずの
  えや留めかねつ
  世の戀と消ゆ

 となつてゐましたが、
『いたみを胸に』の「いたみ」は「痛み・傷み」で、「や行」より「あ行」かも知れないと思はれ、
『えや』は「得や」で、「得」は「あ行」の「え」ですから、この歌は使用出來なくなりました。
 そこで止むなく、歌を先のやうに變へざるを得なくなつてしまひました。

 『やはらかく』の「や」は、問題なく「や行」です。

 『誘(いざ)す痛みや』の「誘す」は「誘(いう・you)」とも讀み、「導(みちび)く・誘(いざな)ふ」であり、その外に「寄()さし・依()さし」で、「寄せる」といふ意味があるのではないかと思はれ、「や行」として使用しましたが、問題は「誘(わかつ)り」や「誘(をび)き入()る」といふ言葉もあり、「わ行」とも關係があるかと思はれるのですが、これは語源は別で、漢字だけをどちらかが借りたのではないかと思はれます。

 『ゆくみづの』は「行く」ですから「や行」であり、「いく」とも讀み書きしますが、これは「言ふ」のときに「ゆふ」と喋るのと同じやうに、どちらも「や行」の「い」であります。

 『益なく過ぎて』の『益』は「やく・えき」とも讀み、「役」の字の場合にも「やく・えき」とも讀む所から、「や行」である事が解ります。

 『世の戀と消ゆ』の「世」は、問題なく「や行」の「よ」である事に間違ひはないでせう。


 次は、
 
 ら 洛陽(らくやう)
 り 旅情(りよじやう)を捨てて
 る 累月(るゐげつ)
 れ 歴然(れきぜん)とはや
 ろ 路傍(ろばう)の人ぞ

 この歌は「ら行」ですから、關係がないやうに思はれるかも知れませんが、以前の歌は、

  らくように
  旅情を捨てて
  るい月の
  歴然とはや
  ろうろうの身ぞ

 かうなつてゐまして、
『ろうろうの身ぞ』は「浪々」であり、これは嘗(かつ)て字音假名遣で「らうらう」と書きましたので、「ら行」には違ひありませんが、さうなると「ろ」ではなく「ら」になり、

  ら
  り
  る
  れ
 「ら」

となつてしまひます。
 字音假名遣とは、漢字音の字音における同音の假名を書き表す場合に、中國での發音に基づいて書き分ける事をいふのですが、そこで、

 『路傍の人ぞ』

 と、先の歌のやうに改めざるを得ませんでした。


 次は、『ゆきずり』の最後の歌です。

 わ わびしさや
 ゐ 田舎(ゐなか)ぶ里の
 う 浮雲(うきぐも)
 ゑ 會者定離(ゑしやぢやうり)をば
 を 教()へて盡()きせ
 ん ん

 この歌の以前は、

  わびしさに
  いつか出()でたる
  浮雲は
  えせ幸(さいわい)
  お知えてつきせ
  ん

 となつてゐて、
『いつか出でたる』の「いつか」は「何時か」とも書き、「安・惡」と書いて「いづくんぞ」と讀む言葉に共通點を持ち、「あ行」ではないかと思はれ、
『えせ幸を』の「えせ」は、「似非・似而非」とも書きますが、これは宛字(あてじ)で、「えせ」は「鈍(おそ)」の母音が轉(てん)じたものと思はれ、「あ行」だと思つて構はないと思ひます。
 かうなると、どうしても「わ行」の言葉を探さなければならなくなり、今囘のやうな歌となりました。

 『わびしさや』は問題ありません。

 『田舎(ゐなか)ぶ里の』の「田舎ぶ」は田舎らしいといふ意味で、「田舎」は「ゐなか」と表記し、「わ行」の「ゐ」です。

 『浮雲』の「浮」は「うく」で、「湧」の「わく」に通じると思つて「わ行」にしましたが、これは筆者の思ひつきで、問題のある選擇かも知れません。

 『會者定離をば』の「會者」は、「會()」は「繪()」でもあり、「わ行」の「ゑ」で、「會ふものは必ず別れる」といふ無常感を表した言葉であります。

 『教へて盡きせん』の「教へ」は「をしへ」で、自分のやり方に他の人を同化させる事であります。
 「自分」は「我(われ)・私(わたくし)」であり、それは後に「あ行」に轉じて「あたし」にもなりますが、羅馬(ロオマ)字表記で發音を示せば、「Watasi」となり、その「W」のみを脱落させますと、「Atasi」となつて「あ行」に變化した事が解りますが、本來は「わ行」であつたと理解出來ます。
 猶、何故、
 『教へて盡きせん』としなかつたかといふと、短歌は「五七五七七」の三十一文字(みそひともじ)といふ事になつてをりますから、
 『教へて盡きせん』では八文字になつてしまひ、「五七五七八」で三十二文字といふ事になり、勿論、「字足らず」や「字餘(じあま)り」も許されてゐますし、この歌集の中にも「字餘り」の歌が二首ほどありますが、この場合は、

  わ
  ゐ
  う
  ゑ
 を
 「ん」

 としたかつたので、敢てさうしたに過ぎなかつた事を、ここに記しておきます。
 ですから、當然、
『さすらひ・たましひ・いづこへ』でも、さうなつてゐる事はお解りの事と思ひます。


 さて、第二部の『さすらひ』に移ります。

 あ 逢はんとす
 い いとも苦しき
 う うつくしさ
 え えならぬ君を
 お 思ひしもがな

 この歌の以前は、

  あわんとす
  いとも苦しき
  うつくしさ
  縁(えに)ぞあらんと
  思いしもがな

 となつてゐましたが、
『縁ぞあらんと』の「縁」は「えに・えにし」であり、「ゆかり」とも同じで「や行」と思はれるので、使用するのを諦めました。


 そこで今囘のやうな歌になり、

 『いとも苦しき』の「いとも」は「いと」で、「甚」とも書き、「あ行」か「や行」か不明でしたが、「あ行」として採用しました。

『うつくしさ』の「うつくし」は「美し」で、「うまい・おいしい」と同根で、「あ行」と思はれるかも知れませんが、「美し」は「むまし」の轉で「ま行」でしたが、「あ行」として使用しました。

『えならぬ君に』の「えならぬ」は「得ならぬ」で、「得」は「あ行」である事は、既に述べた通りです。


次は「や行」です。

や 病身(やまひみ)
い 癒()ゆるあてなく
ゆ 委(ゆだ)ねんと
え 縁なき君に
よ 寄そり行かばや

この歌の前囘も、

  病もつ
  命なりしを
  委ねんと
  えならぬ君に
  寄そり行かばや

となつてゐましたが、

『命なりしを』の「命」は「息」に通じ、「息」は「生きる」と同根である所から、「生(うま)れ・生立(おひた)ち」といふやうに「あ行」と思はれます。
これは餘談ですが、「息」と「生きる」とを同根とする言語は日本語だけではなく、羅甸(ラテン)語や希伯來(ヘブライ)語や希臘(ギリシア)語さへもさうだといふのは、かの『舊約聖書(きうやくせいしよ)』に於ける「罷鼻爾(バベル)の塔(たふ)」の傳説にある、嘗(かつ)て世界の人は唯ひとつの言葉だけで話し合つてゐたといふ説も、強(あなが)ち出鱈目だとは言へない部分があつて、隨分と面白いと思ひます。

『えならぬ君に』の「えならぬ」は、何度も述べたやうに「あ行」ですので、今囘の歌となりました。

『癒ゆるあてなく』の「癒ゆ」は「いゆ」で、「治癒(ちゆ)・癒着(ゆちやく)」ともあるやうに、「愈(いよ)」の音から「癒ゆる」となつたとすれば、「愈」は「彌(いや・最(いや)」に通じ、「いや」は「八(や)」と同根で、「八」が「四(よ)」と同根であるから、「や行」とするのは故事(こじ)つけでせうか。

また、話は少し變りますが、數字の、

「一()・二()・三()・四()・五()・六()・七()・八()・九()・十(とを)

を倍數に竝べ替へますが、數字の、

「一()・二()
「三()・六()
「四()・八()
「五()
「七(なな)
「九「こ」」
「十(とを)

となり、更に「五十音圖(ごじふおんづ)」に合せると、

「は行」の「ひ・ふ」
「ま行」の「み・む」
「や行」の「よ・や」
「あ行」か「や行」の「い」
「な行」の「な」
「か行」の「こ」
「た行」の「とを」

となつて、「さ行・ら行・わ行」がないものの、何か意味があるやうに思ふのは筆者だけでせうか……。

『縁(えに)なき君に』の「縁」は前にも述べたやうに、「や行」として扱ひました。


次は「わ行」です。

わ わかくさの
ゐ 違背(ゐはい)の夫(つま)
う うしなひし
ゑ 越後(ゑちご)の君の
を 遠方(をち)にぞ戀()ふら
ん ん

この歌の前囘は、

わかくさの
  いまは夫をさ
  うしなひし
  えさらじ君を
  思ひて亂(みだ)
  ん
となつてゐて、
『今は夫をさ』の「いま」は「今」で、「現在・世」に通じ「や行」かも知れず、或は「居る時・居る間(あひだ)」で「ゐま」かと思つたりすると、「わ行」であつたのが後(のち)に「あ行」に轉(てん)じたのかと思ひ、結局、いづれか不明なので、「わ行」としては使用しない事にしました。
『えさらじ君を』の「えさらじ」は「得さらじ」で、「得」は「あ行」です。
『思ひて亂れ』の「思ひ」は「面覆(おもおひ)」であると思はれ、「面白い」と「をかし」とは別で、「面白い」は「あ行」で「をかし」は「わ行」ですので、「思ひ」も「あ行」となり、今囘の歌に變らざるを得ません。

『わかくさの』は「夫・妻」にかかる「枕詞(まくらことば)」です。

『違背(ゐはい)の夫(つま)を』の「違背」は、「あ行」でも「や行」でもなく「わ行」です。
これは何故「わ行」なのかといふと、最初に人間が發音し得る音を文字で表した時、「あ行」の「え」も、「や行」の「え」も、「わ行」の「ゑ」も違ふ音を有してゐたからなのです。
その違ひを羅馬(ロオマ)字で表記(へうき)しますと、

「あ行」の「え」は「e」
「や行」の「え」は「ye」
「わ行」の「ゑ」は「we」

となるやうに、それぞれが違つた音であつた事を證明してゐると思ひます。

『越後(ゑちご)の君の』の「越後」も同じく「わ行」で、「越度」と書いて「をちど」と讀み、別に「落度(おちど)」とも書き、「あやまち」といふ意味から「あ行」かとも思へませうが、「越度(をつど)」から轉じたと辭書にあり、それよりも、如何に「わ行」が「あ行」に變化(へんくわ)し易いかを知る資(よすが)になると知る事が出來、更に、
「な行」の「汝」が「なんぢ・なれ」から、
「あ行」の「うぬ・おの・あなた」と變化するやうに、他の「行」さへも「あ行」は引寄せる力があり、將(まさ)に母音とは良く言つたものだと思ひます。

『遠方(をち)にぞ戀()ふらん』の「遠方」は「をち」で「わ行」であり、「遠方」を讀替へるときは、「えんぱう」ではなく「ゑんぱう」となります。
また、「方」は「はう」と「ほう」の二(ふた)通りの讀み方があり、意味によつて使ひ分けてゐたと辭書にありました。


第三部の『たましひ』では、「あ行」は問題がないので、
「や行」へ移ります。

や やすらかな
い 色は變(かは)らじ
ゆ 夕暮(ゆふぐれ)
え 枝を離れて
よ よごれ落つ花

この歌は前囘も今囘も同じですが、少し解説をしておきます。

『色は變らじ』の「色」は「いろ」で、「樣(よう)・艷(えん)」に通じ、「樣」は「yang」で、「艷」は「yen」と發音してゐた事が「新字源」を見ても明かである所から、「や行」と思つてその儘としました。

『枝を離れて』の「枝」は「えだ」で「よ・やで」とも言ひ、「や行」である事が知れます。


次は「ら行」へ移ります。

ら 落莫(らくばく)
り 慄然(りつぜん)と見し
る 瑠璃(るり)色の
れ 麗々(れいれい)しき花の
ろ 路傍(ろばう)に咲きて

この歌の以前は、

 らくばくや
 繚乱とせし
 るり色の
 れいれいしき花を
 路傍に見つつ

この歌の問題點は、
『繚乱とせし』で「繚乱」を字音假名遣(じおんかなづかひ)で平假名表記にしますと、「れうらん」となり、それでは各冒頭の部分が、

「れ」

となつてしまつて、「折句(をりく)」としての意味を成さなくなつてしまひますので、今囘のやうにしました。
以前にも言ひましたが、字音假名遣といふのは、假名を用(もち)ゐて、中國より傳來(でんらい)された漢字の字音を表す爲の假名遣であり、故に「唐音」や「支那音」比べると、傳来の古い「漢音」や「呉音」は學術的には尊重すれど、實用的ではないといふ意見もあります。

最後は「わ行」の歌です。

わ 病葉(わくらば)
ゐ 居()散らす風に
う うずくまり
ゑ 繪()に寫(うつ)すまで
を 折れ殘るやら
ん ん

この歌の以前は、

 わくらばの
 いのちなりける
 うそぶるい
 えしも散れるな
 おもき風ふか
 ん

この歌の、
『いのちなりける』の「いのち」は「命」の事で、『さすらひ』の「や行」の「命なりしを」の「命」と同じで、「あ行」と思はれ、
『うそぶるい』の「うそ」は「嘘」とは別で、「怖()ぞ」の轉じたもので「あ行」になり、
『えしも散れるな』の「えしも」は「得しも」と書くので「あ行」です。
『おもき風ふかん』の「おもき」は「重き」で、「押し」に通じ「あ行」かと思はれ、今囘の歌に改めました。

『居散らす風に』の「居」は「ゐ」で、「坐()し・ゐる・う・をる」と活用するので「わ行」ですが、唯、「坐()し」に就いては「おはし」からの轉であるとも言ひますが、それはどちらが先にあつたかといふのは難しい問題です。
それに「おはし」は「坐(いま)し」とも書き、「有()り・居()り・行き・來()」の尊敬語となつて、「汝(いまし)」は名詞形になつたものとあります。
また、「入()る」は「御入(おい)る」で「居る・來る」の尊敬語で、今日(こんにち)の「いらつしやる」は「わ行」の「ゐ」ではなく、「あ行」に「い」である、とものの本にあります。
とすれば、「あ行」と「わ行」が音樂でいふ所の近親調のやうに、極()く近い關係(くわんけい)にあると思はれ、
「わ行」の一人稱の「私(わたきし)、我(われ)・吾(われ)」が、「あ行」の「私(あたくし)・吾()
・己(おのれ)」となり、
「な行」の二人稱の「汝(なれ)・汝(なんぢ)・奴(ぬ)」が、「あ行」の「汝(いまし)」となり、
「か行」の三人稱の「彼(かれ)・彼方(かなた)・此方(こなた)」が、「あ行」の「彼方(あなた)・貴方(あなた)」などで、「あ行」が總(すべ)ての「行」を司(つかさど)る中心的な存在である事が解ると思ひます。

『うずくまり』は室町時代以降は「うづくまり」に轉じましたが、「うずくまり」が正しく、「う」は「わ行」の「居()る」活用形で、「ゐすくまる」から變化したものと思はれ、「すくまる」は「竦(すく)み」と同根ではないかと思はれます。
「竦み」とは硬直して動かなくなる事で、「うずくまる」はしやがんで丸くなるといふ意味だから、互ひに通じるものがあり、「わ行」と解釋しました。

『繪に寫すまで』の「繪」は「ゑ」で、又、「繪」は「會」と同じで「わ行」ですが、「會」を「會()ふ」とも讀み、「あ行」への轉化(てんくわ)があります。

『折れ殘るやらん』の「折れ」は「わ行」の「を」で、「割()り・破()り」と同根かと思はれ、どちらも二つの状態に分れるといふ意味を持つてゐます。


第四部の『いづこへ』では、

 あ 逢ひたさに
 い いざ立ちめけや
う うら戀()ひし
 え 似非(えせ)(さいは)ひも
 お 思ひは君ぞ

で、以前の歌は、

 あいたさに
 いざ立ちめけや
うらこいし
 絵を書くいまも
 おもいは君ぞ

でしたが、
『絵を書くいまも』の「絵」は「わ行」の「ゑ」ですので、この歌も使用出來ません。
そこで次のやうに改めました。

『いざ立ちめけや』の「いざ」は「さあ」に通じ、「さあ」は「やあ」に同じくして、相手に促(うなが)したりする時に發する音聲ではないかと思はれ、「や行」かも知れませんが、「あ行」として使用しました。

『似非幸ひも』の「似非」は『ゆきずり』の「わ行」で述べた通り、「あ行」として活()かしました。


次は「や行」です。

 や やるせなし
 い 言ひ隱(かく)す戀(こひ)
 ゆ ゆるされず
 え 縁(えに)なき君は
 よ 世を去りにけり

この歌の以前は、

  やるせなし
  いまだに恋は
  ゆるされず
  縁なき君は
  世を去りにけり

で、
『いまだに恋は』の「いまだに」は「未だに」と書きますが、「今」にも通じるかと思はれ、だとすれば、『さすらひ』の「わ行」でも述べてをりますので、ここでは省(はぶ)きます。
そこで次のやうに改めました。

『言ひ隱す戀』の「言ひ」は「良い」と同じで、「良()い」とも讀み書きし、「言ふ」は「ゆふ」とも發音しますので、「や行」として使用しました。

『縁なき君は』の「縁」は、前にも述べた通りです。


次は「わ行」で、これがこの歌集の最後の歌となつてゐます。

 わ わが夜さに
 ゐ 遺志(ゐし)なく去らん
 う うつせみの
 ゑ 笑()みなきこの世
 を 惜()しくもあらな
 ん ん

これに對して前囘の歌は、

  わが夜さに
  いまこそ去らん
  うつせみの
  縁なきこの世
  惜しくもあらな
  ん

で、
『いまこそ去らん』の「いま」は「今」で、これは再三申し上げた通りです。
『縁なきこの世』の「縁」も、「や行」の「え」である事はいふまでのない事だと思ひます。
そこで今囘の歌となつたのですが、

『遺志なく去らん』の「遺志」は「ゐし」で、「遺」は「遺言」とも使ひ、それは「ゆいごん」だから「や行」かとも思はれますが、「ゆいごん」は「呉音」で調べた所、「ゆゐごん」とも記(しる)し、「ゆゐごん」の「ゆ」は「御()・御()」の接頭語の變化したものではないかと思ふのは、穿(うが)ち過ぎでせうか。
いづれにしても、他にも「わ行」の「醉()ふ」が、現代では「醉()ふ」と「や行」の發音に變化したのと同じ經過(けいくわ)を辿(たど)り、

「あ行」
「や行」
「わ行」

が近い關係にあつたといふ事を、示してゐるやうに思はれます。
またそれは、

「あいうえお」
「やいゆえよ」
「わゐうゑを」

といふ五十音圖を比較しても解る事だと思はれ、結局、「遺」は「わ行」の「忘れる」の變化したものではないかと思ひます。

『うつせみ』は「現身(うつしみ)」ではなく「現臣(うつつおみ)」で、「現(うつつ)」は「存在・居る」を意味し、「をつつ」とも活用しましたので、「わ行」として使用しました。

『笑みなきこの世』の「笑み」は「わらふ」ですから、「わ行」の「ゑ」になります。

『惜しくもあらなん』の「惜し」は「愛()し」とも書き、類義語に「あたらし」があり、「愛」がある所から「あ行」かとも思はれますが、「わ行」として使用しましたが、これまでにも「あ行」と「わ行」の關係を示しておきましたので、この事に就いては理解して戴けると思はれます。


以上で『愛ニ飢タル男』に於ける歌の改稿した意味を、解つてもらへると思ひます。
しかし、この中にも間違つた考へが幾つもあるかと思はれますが、もしもお氣づきの點(てん)がありましたら、ご教授を願ひたいと思つてをります。




二、假名遣に就いて
     
 前の章でも述べましたやうに、表記法(へうきはふ)には何種類もありますが、假名遣(かなづかひ)に於いても、

一、歴史的假名遣(れきしてきかなづかひ)
二、現代假名遣(げんだいかなづかひ)

 この二つが掲げられます。


 歴史的假名遣は、「古典假名遣(こてんかなづかひ)」とか「舊假名遣(きうかなづかひ)」とも言はれてゐ、明治政府によつて採用されましたが、語の軌範(きはん)を萬葉假名の文獻に求めた所から、「歴史的」と言はれたのです。

 現代假名遣は、「新仮名遣い」とも言はれ、一九四六年(昭和二十一年)に内閣によつて公布されて、その後、現代語の發音に近づける爲に、一九八六年にも改定されてゐます。


 この外にも、歴史的假名遣の直ぐ後の一九〇〇年(明治三十三年)に、

 「棒引き假名遣」

 といふものが施行され、字音語や感動詞の長音を、

 「ぼーびき(棒引き)
 「いーえ」

 のやうに、

「ー」

を用ゐる假名遣の事で、これは、

「歴史的假名遣」

に對するもので、現在に於ける、

「現代假名遣」

と同じ意味のものだと思つて差支へがないでせう。
幸ひな事に、假名遣は森鷗外(18621922)や國學者の反對によつて、一九〇八年に廢止されました。


それでは、

「歴史的假名遣」
「棒引き假名遣」
「現代假名遣」

これらは一體どう違ふのかと言ひますと、發音を歴史に求めて表記するか、現代の發音に因()つてゐるかの違ひだけに過ぎません。
その意味に於いては、どちらも表音的な假名遣である事に變りはありません。


御存知のやうに、文字には表意文字と表音文字とがあります。

表意文字は讀んで字の如く、意味を表してゐる文字に事であり、漢字のやうに音だけを表すのではなく、意味をも表してゐる文字の事であります。

表音文字も讀んで字の如く、音を表す文字の事で、例へば羅馬字などは表音文字で、

「A」

といふ文字に意味はなく、

「ア・エ」

といふ音だけを表してゐる文字の事で、平假名や片假名も、無論、表音文字です。


さうして、こんにち使用されてゐる日本の文字は、本來が日本獨自の發明によるものではなく、外國からの借りものであります。
かつて日本には、日本語の爲の發音は多少に拘はらずあり、話し合ふ事は出來たでせうが、記録する爲の文字は、少なくともこんにちのやうに體系(たいけい)化され、普及したものはなかつたと思はれます。
また、それは發見されてゐないだけかも知れませんし、筆者の不勉強によるのかも知れませんが、いづれにしても、當時の日本人は文字を中國から輸入しました。
その場合に、力の關係によつたといふ事もあつたかも知れません。
その爲に、今までなかつた發音も、日本人は新たに覺えたに違ひありません。


まだ、片假名も平假名もなかつた萬葉(まんえふ)時代の頃、總(すべ)ての音は漢字だけで表記されてゐました。
その頃、例へば、

「石」

と書きたい時、

「伊之・以嗣・異志」

これらのどれを使用しても正しかつたのです。
()はば、漢字の音だけを利用して書いてゐたのですが、それを上代(字やうだい)特殊(とくしゆ)假名遣(かなづかひ)と言つてをりました。


假名遣(かなづかひ)といふからには、そこに一つの法則があつたのは當然と言つても良いのです。
現代假名遣に於いても、現代の發音に基づいてゐるのですから、

「胡瓜(きうり)

を、

「きゅうり」

と發音してゐるから、さう書くのだといふのと同じやうに、かつて音は五十音あり、

「あ行」の「え」
「や行」の「え」
「わ行」の「ゑ」

これらのそれぞれが、違ふ音として存在してゐ、それを使ひ分けるのが上代特殊假名遣である、と言つても良いのではないかと思ひます。
中でも、

「あ行」の「え」
「わ行」の「ゑ」

は文字が同じかといふと、さうではないと思ひます。


といふのは、五十音圖を見て、その後に發音記號としての羅馬字による五十音圖を見ると解ると思ひます。
次にそれをしめせば、

あいうえお   a  i  u  e  o
かきくけこ  ka ki ku ke ko
さしすせそ  Sa Si Su Se So
たちつてと  Ta Ti Tu Te To
なにぬねの  Na Ni Nu Ne No
はひふへほ  Ha Hi Hu He Ho
まみむめも  Ma Mi Mu Me Mo
やいゆえよ  Ya Yi Yu Ye Yo
らりるれろ  Ra Ri Ru Re Ro
わゐうゑを  Wa Wi Wu We Wo
ん       n

となりましが、

「あ行」の「い()・え()
「や行」の「い(Yi)・え(Ye)

は、

「わ行」の「ゐ(Wi)・ゑ(We)

のやうに文字が違つてゐなくても、音が違つてゐたのだといふ事が解ると思ひます。


このやうに違ふ音が、なぜ變(かは)つたかと言ひますと、そこには色々な理由が掲げられませう。
例へば、

「戀(こひ)

といふ字がありますが、これは昔はその儘(まま)

「こひ」

と發音してをりました。
羅馬(ロオマ)字で書くと、

「Kohi」となりますが、

「h」を脱落させる事により、

「koi(こい)

となります。

「戀()ふ・kohu」の場合でも、

「h」を同じやうにすると、

「kou(こう)」となり、恰も、

「あ行」の「い・う」

のやうに思へますが、これは本來が、

「は行」

であつたのだといふ事が知れます。


羅馬字の表記を合せると、

「あ行」の「い()・え()
「や行」の「い(Yi)・え(Ye)
「わ行」の「ゐ(Wi)・ゑ(We)

となりますが、

「や行の()・わ行の()

これらを發音しないと、どちらも共に、

「あ行」の「i・e」

と同じ音になり、第二部の『さすらひ』の、「あ行」の、

「美し」が「むまし」であつた時、

「Mumasi」で頭の「M」を發音しないと、

「Umasi(うまし)」

となつた事が知れるでせう。


かういふ事が多いのは、何も日本語にだけあるのではなく、むしろ外國語の方が、その數は多いと思ひます。
英語を考へましても、

「knife」

は「ナイフ」で「K」の音は發音してをりません。
かういふ言葉は數へ上げれば枚擧(まいきよ)に暇(いとま)がないと思ひます。
日本語の場合は、他の「行」の子音が母音に變り易いだけで、英語のやうにアルフアベツト二十六文字に對して、日本語は五十音と撥音(はつおん)の「ん」や、濁音や半濁音を數へると七十六文字あり、萬葉時代の八母音は別にして、僅かに五母音しかなく、その變化も解り易いのではないかと思ひます。


その外にも、

「見える」

の「え」は、「あ行・や行・わ行」のいづれであつたのかといふと、「わ行」だけは省いて考へるにしても、「あ行・や行」の二つの内のどちらかといふ問題が殘つてをります。
平假名や片假名が發明され、假名遣なんかはどうでも構はないといふ頃になつて、藤原定家(11621241)が現れ、それを正さうとして、

「定家假名遣」

が出來たのです。


しかし、定家の假名遣にも多くの誤りがありました。
それを各時代の國學者達の研究によつて、萬葉集や古事記を調べた結果、

「キヒミケヘメコソトノヨロモ」

といふ音を表す漢字には、甲乙の二種類の漢字群がある事に氣がついたのです。
ここでは、それらの總てに就いて述べられませんので、

「え」

に就いて次に示せば、

一、甲類 愛亞荏哀埃衣榎得
一、乙類 延兄江枝叡曳遙要吉

となりますが、これは皆「え」といふ音を表す漢字ですが、

「見える」の「え」

を表す時には、乙類の漢字しか使用されておらず、決して甲類の文字はその中に含まれてゐませんでした。


それがどういふ事なのかと調べますと、

「あ行」の「え」が甲類、
「や行」の「え」が乙類、

であると理解出來たのです。

「見える」は活用すると、
「見ゆ」だから、
「や行」だと解り、ですから乙類の漢字しか使用しなかつたのだと知り得たのです。

その外にも、

「越え・消え・覺え・甘え・聞え・冷え」などは、
「あ行」でも「は行」でも「わ行」でもなく、
「ゆ」の活用のある、
「や行」である事が知れます。


それに、

「聲(こゑ)

といふ字は、

「こえ」
「こへ」
「こゑ」

これらの内のいづれかといふに、

「聲色」といふ言葉があり、
「こわいろ」と書きますから、
「わ行」である事が知れて、

「こゑ」

が正しいと知り得るのです。
その意味に於いては、昔の言葉は五十音に基づく撥音があり、それらを別々に使用してゐましたが、次第に話し言葉が書き言葉を裏切り始めめたのです。
その經過はこれまで述べた通りであらうかと思はれます。
が、ここで述べた事は、氷山の一角でしかありません。


しかし、現代語音に基づく現代假名遣といふものは、歴史の流れの中で續いて來た言葉を使用しながら、發音が變つてしまつたからといふだけで、歴史的假名遣といふ表記法を捨てようとしたものであります。
例へば、現代假名遣で表記する所の、

「行こう」

といふ言葉がありますが、これはこんにちでは歴史的假名遣の儘に、

「行かう」

とは發音しません。
さう言はないのに、何故さう書かなければならないのかといふ所から、歴史的假名遣は良くない、間違ひだとしたのです。

「行こう」

と現代では發音してゐるのだから、それも、
「か行」の四段活用が五段活用になるだけなのだから、現代の發音に從つて表記しても良いのではないか、といふのが現代仮名遣の始まりです。


しかし、本當に、

「行こう」

と喋つてゐるかといふと、誰もさうは言つてないだらうと思ひます。
(むし)ろ、

「行こお」

と言つてゐる人の方が、多いのではないでせうか。

「行こう」の「う」
「行こお」の「お」

これらは共に、

「あ行」

であるから問題がないやうに思はれますが、ここには大きな落とし穴があるのです。


と言ひますのは、

「行こお」

にしますと、この、

「お」はただ單に音が伸びた事を示すだけになります。
羅馬字で表記しますと、
「Yuko」の、
「o」の上に伸ばす意味の横棒()を引くだけで足りる事が解りますが、これでは未來の意志を表す、
「う」の音がなくなつてしまふ事になります。
それでも、音を表す爲だけに文字があるのならば構はないでせうが、文字が意味を表す爲のものであるならば、それではいけません。
その爲にこそ、假名遣といふものがあるのです。


現代假名遣は、假名遣としては不備なのです。
發音は幾ら變つても假名遣の表記法は一つで良いのです。
音が變つたからと言つて、それに從つて假名遣を變へて行けば、いつまで經つても表記法が定まらなくなります。
それよりも表記法は一定にして、

『こゑ「聲」 「表記kowe(コヱ)」「發音koe(こえ)

といふやうに、羅馬字か片假名で、その各時代の發音を示せば良いのではないかと思ひます。
以上述べたやうな意味に於いても、こんにち學校で、

「や行」は「や・ゆ・よ」
「わ行」は「わ・を」
「ん」

といふやうに教へることには反對であります。

「や行」は「いいゆえよ」
「わ行」は「わゐうゑを」
「ん」

と教へるべきだと思ひます。
表記法を一定にしておけば、現代國語も古典も、それほど難しくならないのではないかと思ひます。





三、總ては五十音圖から

それでは、一體、五十音圖はいつ頃からあつたのかと言ひますと、その成立は十世紀から十一世紀の間と考へられてゐて、文獻(ぶんけん)の最古のものは醍醐寺の、

「孔雀經音義(くじやくきやうおんぎ)

に付記されたもので、寛弘(くわんこう)~萬壽(ばんじゆ)年間(10041028)頃とされてゐます。


五十音圖とは、五十字の假名を縱(たて)に五字、横に十字づつを竝べた表の事で、

一、縱の竝びを「行」
 一、横の竝びを「段」

 と言ひます。

「行」には、ほぼ同じ子音のもので竝び、
「段」には、同じ母音が竝んでゐます。

古くは、

「五音・五音圖(ごいんづ)・假名返(かながへ)しの圖」

 などとも呼ばれ、漢字音の反(はんせつ)の爲に作られたとも、また漢詩の爲の、

 「韻紐圖(ゐんちうづ)

 から日本語にも、

 「同子音・同母音」

の考へが生れ、それを悉(しつたん・梵語即ちサンスクリツト)の智識によつて、整理したものであると言はれてゐます。
因みに、かつて歐羅巴(ヨウロツパ)の多くの言語が、羅甸(ラテン)語を基礎としてゐると思はれてゐましたが、比較言語學では、印度(インド)歐羅巴語といふのが現在の主流で、奇しくも印度が洋の東西を問はず、言語の中心的存在だつたのは不思議な感じがします。


さうして、五十音圖といふからには、發音の違ふ音が五十音あるといふ事でありますから、

 「あ行」の「い・え」
 「や行」の「い・え」
 「わ行」の「ゐ・ゑ」

 は全部が違ふ音であつたといふ事であり、現在の教育で行(おこ)なつてゐるやうに、

 「や行」が「やゆよ」で三文字しかなく、
 「わ行」が「わ・を」で二文字しかなければ、合計四十五音しかなく、假(かり)に、

 「ん」

 を入れても四十六音しかなく、五十音とはなりません。
 それに本來、「ん」といふ文字はなかつたと見ても構はないと思ひます。
 何故なら、「ん」は一部の音が變化しただけの事で、

 『花の散るらん』

 の「らん」は「らむ」の變化で、「らめ」の活用がありますから、「む」が「ん」になつたのだと解ります。

 
『なんといふ』

 の「なん」は、「何(なに)」の「に」が「ん」に變化したものである事が解るからであります。
 さういふ意味で、「ん」を省き、

 「や行」を「やいゆえよ」
「わ行」を「わゐうゑを」

とする事によつて、五十音となる事が分ると思ひます。


 しかし、五十音圖よる同じ音が互ひに相通(さうつう)するといふ考へは、こんにちでは一般的には採用されてゐないのだ、とものの本に記されてゐます。
その理由は、上代特殊假名遣の頃に、母音は、

「aiueo」

の五つではなく、この外に發音の違ふ、

「ieo」

のそれぞれの「ieo」に「¨(ウムラウト)」を冠した三つが追加された、全部で八つが母音であつたといふ事が解つたからで、例へば、

「上(かみ)」の「み」
「神(かみ)」の「み」

この二つの「み」は、どちらも文字は同じですが、羅馬字表記にしますと、

「上(かみ)」の「み」は「Mi」で
「神(かみ)」の「み」は「Mi」の「i」に「¨(ウムラウト)」が追加されます。

このやうに、語源が一緒ではなかつたと解つた事によります。
それは、

「小()」の「こ」が「ko」
「木()」の「こ」が「ko」で「o」に、矢張り「¨(ウムラウト)」が追加され、同じ「か行」の「こ」でも、語源は一つではなかつたと知れたのです。


では、解つてゐるだけで、一體、どれぐらゐあつたのかと言ふますと、

一、甲類 「ki・Gi・Fi・Bi・Mi・ke・Ge・Fe・Be・Me・ko・Go・So・Zo・To・Do・No・Mo・Yo・Ro」
一、乙類は上記の總(すべ)てに「¨(ウムラウト)」を追加する形となります。

以上の四十音が掲げられますが、筆者個人の発想が正しいとすれば、まだ外にもあるものと思はれます。
これは素人考へかも知れませんが、

「ieo」

と、「¨(ウムラウト)」が冠された「ieo」の、この二つの音の違ひは、どちかが拗音ではなかつたと思はれ、それは例へば、

「梶」は「かぢ(kadi)
「火事」は「くわじ(kuwazi)

通常の歴史的假名遣では、このやうになりますが、上代特殊假名遣の甲類と乙類の書分けでは、

「kadi」が「梶(かぢ)
「kazi」が「火事(くわじ)」で、「a」に「¨(ウムラウト)」が冠されたのではないかと思はれます。


その根據(こんきよ)は、

「は行」の「はひふへほ」が、嘗(かつ)てはこんにちで言はれてゐる所の、
「Ha・Hi・Hu・He・Ho(はひふへほ)」ではなく、寧(むし)ろ、
「Fa・Fi・Fu・Fe・Fo(ふあ・ふい・ふう・ふえ・ふお)

ではなかつたかといふのが、通説になつてゐますが、實(じつ)は、

「Ha・Hi・Hu・He・Ho」

と、「¨(ウムラウト)」が冠された「Ha・Hi・Hu・He・Ho」の、この二つの事を示すのが、本當ではなかつたかと思はれます。
この外にも、「さ行」が、

「Sa・Si・Su・Se・So(さしすせそ)
「aiueo」に「¨(ウムラウト)」が冠された次の、
「Sa・Si・Su・Se・So(しや・しい・しゆ・しえ・しよ)

とこの二つが、同時に有り得たといふ事はなかつたでせうか。


といふのは、現在の、

「が」

といふ言葉にも、

「樂(がく)」の「が」
「僕が」の「が」

とは發音が違ふのだといふ事は、少し言葉を理解してゐる人ならば誰でも、軟口蓋破裂音の有聲子音と後舌の廣母音による音節の「が」が語頭に用ゐられ、語中及び語尾の「が」では、頭子音が軟口蓋鼻音となり、所謂(いはゆる)鼻濁音であると知つてゐると思ひます。

語頭は「が」
語中は「か°」

と表記する事があります。


さうして、

「aiueo」と、
「¨(ウムラウト)」が冠された、
「ieo」

を合せた八つの母音も、本來は、

「aiueo」と
「aiueo」の、

總てに「¨(ウムラウト)」が冠された、合せて十音ではなかつたかと思はれます。
といふのも、

「ka・ki・ku・ke・ko」は「かきくけこ」
「aiueo」に「¨(ウムラウト)」が冠された、
「ka・ki・ku・ke・ko」は「きや・きい・きゆ・きえ・きよ」

この二つは入れ違ひであつたのかも知れませんが、いづれにしましても、この二つの音の違ひは、どちかが拗音で、假(かり)に、

「ieo」

の方が拗音だとすれば、その違ひは先づ第一に、歴史的假名遣と現代假名遣の、

「あ行・や行・わ行」

を調べれば解るのではないか、と思ひます。


何故なら、それらの「行」がこれまでの語音の變化を、最も極端に表してゐると思はれるからです。
例へば、「¨(ウムラウト)」が冠された、

「ieo」の場合、
「au」の音はなく、

「あいうえお」の場合の、
「やゆよ」との比較を照らし合せると、現代語音の、

「や行」に「i音・e音」の音がなく、僅かに、
「o」音にのみ互ひに共通する音を殘してゐて、更に、

「あいうえお」
「わを」の場合も、

「i音・u音・e音」に語音がなく、歴史的假名遣にした所で、
「ゐゑ」といふ文字があつても、
「u音」に於ける問題が生じて來ます。


ですから、

「あ行・や行・わ行」の内で、
「i音・e音・o音」

といふ「¨(ウムラウト)」が冠された、この三つの音を解決させなければなりませんし、拗音の、

「きや・きゆ・きよ」の場合でも、
「か行・や行」の複合音で、その活用は、
「や行」を使用してゐて、
「auo」の音があります。

「ieo」といふ「¨(ウムラウト)」が冠された音と、
「auo」の二つの中で、
「o音」にのみ共通點を見出せるのです。


さうして、「¨(ウムラウト)」が冠された、

「ieo」が實(じつ)は、同じく「¨(ウムラウト)」が冠された、
「aiueo」ではなかつたかといふ理由は、

「あ行」の「あいうえお」
「や行」の「やいゆえよ」といふやうに、
「i音・e音」だけが同じ表記であつたとしても、この前の、

「ま行」が、
「Ma・Mi・Mu・Me・Mo(まみむめも)

となつてゐるのを考へた時、誰しも、

「あ行・や行」の「i音・e音」

が同じ音だとは見ないのと同じやうに、またそれにも拘はらず、

「や行」の「a音()・u音()・o音()」にだけ、

「あ行・や行」の區別が歴然とあり、

「う」を同じ表記で書く、
「あ行・わ行」に於いても、同じ事が
言へるのではないかと思ひます。


「きや・きゆ・きよ」といふ拗音の場合でも、
「i音・e音」にだけ音がなく、
「o音」には、「きよ」といふ音があり、

「ieo」といふ「¨(ウムラウト)」が冠された場合と、変形されてはゐますが、語源的には相似性があるやうに思はれます。
ですから、

「きや・きゆ・きよ」
「しや・しゆ・しよ」
「ちや・ちゆ・ちよ」
「ひや・にゆ・によ」
「みや・みゆ・みよ」
「りや・りゆ・りよ」

その他、濁點と半濁点の、

「ぎや・ぎゆ・ぎよ」
「じや・じゆ・じよ」
「ぢや・ぢゆ・ぢよ」
「びや・びゆ・びよ」
「ぴや・ぴゆ・ぴよ」

などの「い音便」による、
「や行」の活用に似たものがあると思はれるのです。


さうして、何よりもその證據(しようこ)に、子音は總て母音に歸する所から、一種の拗音だと言つても過言ではないと思はれるからです。

「あいうえお」

この五つを母音として、他の四十五音を子音と呼ぶ事は誰でも知つてゐる事ですし、

「かさたなはまやらわ」の子音は總(すべ)て母音の、
「あ」に歸する事も御存知かと思ひます。

その意味では、

「かあ・さあ・たあ・なあ・はあ・まあ・やあ・らあ・わあ」

とかう書いても良ささうなものですが、さうしなかつたのは不便だといふ事もあつたでせうが、それ以外に、では本當により拗音的な發音を強()ひる言葉を、どのやうに表記すれば良いのか、といふ問題があつたのではないかと思はれます。
さうしますと、拗音的な言葉と、より拗音に近い言葉とを表記し分ける爲に、こんにちのやうな形を想像するのはそれほど難しい事ではないでせう。


しかし、以前にも書いた、

「五音相通」

の考へが否定されてゐる理由がここに根ざしてゐるとすれば、それは如何なものかと思はれます。
その理由の前に、なぜ否定され出したかといふと、動詞の活用で、
「書く」といふ言葉を例に示すと、

「書か・書き・書く・書け・書け」

で、これは四段活用ですが、
「書け」の場合、
「已然(いぜん)形」と、
「命令形」とがあり、
この二つの「け」は、

「已然形」の「ke()」は「e」に「¨(ウムラウト)」が冠された「ke」で、
「命令形」の「ke()」は普通の母音で、ここに先ほどの問題が出て來て、同じ、
「か行」にも二種類あり、
「か行」に於ける相通の考へが否定され、延()いては總ての「行」をも否定されるに到つたのです。


しかしながら、これを拗音と直音とに分ける事により、かなり解決出來るのではないかと思ひます。
例へば、

「已然形」の「書け」は、「書けば」となり、「書きえば」やあるいは「書くえば」などと發音してゐ、
「命令形」の「書け」は、その下の言葉が「よ」ぐらゐしかなく、そこで言ひ切つた事になり、直音の言葉となり易かつたのではないかと思はれます。
詰り、さういふ書分けに於いて、

「aiueo」

と、

「ieo」

の「¨(ウムラウト)」が冠された言葉があつたのではないかと考へたのですが、これは早急には答への出ない問題ですし、この考へ自身が間違つてゐるかも知れません。
しかし、五十音圖が最初にあつたのではないかといふ考へは、以前として筆者の腦裡から離れません。


それでは、一體、五十音圖とは他の文獻と比較して、どれ程の價値があるものかと言ひますと、それ以外の有名なものに「いろは歌」があります。

いろはにほへと   色は匂へど
ちりぬるを     散りぬるを
わかよたれそ    吾が世誰ぞ
つねならむ     常ならむ
うゐのおくやま   有爲の奧山
けふこえて     今日越えて
あさきゆめみし   淺き夢見し
ゑひもせす     醉ひもせず

これは發音の違ふ四十七文字の假名を一度づつ全部使つて、七五調の歌にしたものであり、古来より弘法大師(774-835)の作とされてゐますが、眞僞の程は解りませんが、この歌の一番古い文獻は、

「金光明最勝王音義(こんくわうみやうさいしょうわうおんぎ)

で、承歴三年(1079)とされてゐます。


また、「たゐにの歌」といふものもあります。

たゐにいて     田居に出で
なつむわれをそ   菜摘む我をぞ
きみめすと     君召すと
あさりおひゆく   求食り追ひ行く
やましろの     山城の
うちゑへるこら   打ち醉へる子等
もはほせよ     藻葉干せよ
えふねかけぬ    え舟繋けぬ

これも發音の違ふ假名を、總て一度づつしか使つてゐません。
作者は不明らしく、天祿元年(970)頃の源爲憲(みなもとのためのり・?-1011)の著(あら)はした、

「口遊(くちずさみ)

に出てゐるとの事です。


これ以外にも、「天地(あめつち)の歌」といふものがあります。

あめつちほしそら  天地星空
やまかはみねたに  山河峰谷
くもきりむろこけ  雲霧室苔
ひといぬうへすゑ  人犬上末
ゆわさるおふせよ  硫黄猿生ふ爲よ
えのえをなれゐて  榎の枝を馴れ居て

これは發音の違ふ四十八文字の假名を、一度づつ全部使つて作られた歌ですが、この歌には「いろは歌」や「たゐにの歌」と違つて、
「え」が二度出て來ます。

「榎」は「あ行」の「え」
「枝」は「や行」の「え」

で、當時は、

「あ行」の「え()
「や行」の「え(Ye)

と、これらの區別があつた事を示してゐる所から、先の二つの歌よりも古いといふ事で、平安時代初期の頃に、

「宇津保物語

といふ文獻があるだけで、詳しい事は解つてゐません。


しかし、「天地の歌」が一番古いといふのが、

「あ行」の「え」
「や行」の「え」

の違ひがあるのが根據だとすれば、

「あ行」の「い」
「や行」の「い」

の違ひもあつたでせうし、第一、
「あ行・や行」の違ひがどうして解り得たのでせうか。


その理由は、五十音圖が先にあつたからに外ならないと思ひます。
恐らく、五十音圖こそは、書き言葉の最初であつたと思はれてなりません。

「あ行」の「い」
「や行」の「い」

この二つは文字を輸入した時、既に、

「や行」の「い」は、
「あ行」の「い」に同化させられてゐたのではないでせうか。

さうして、また、

「や行」の「え」も、
「あ行」の「え」に同化させられようとする間際になつて文字が輸入されたものの、結局、同じ末路を辿つたのではないか、と思はれてなりません。


更に、何故それがこんにち文獻として殘つてゐないのかといふに、勿論、人災や天災といふ原因もあつたでせうが、それよりもむしろ、それは幼兒に教へるのに、その事を態々(わざわざ)書き殘しておく必要があつたとは思はれないやうに、誰でも箸(はし)の正しい持ち方の手引書のやうなものは殘さなかつた筈です。
實際(じつさい)に行爲(かうゐ)で示した方が早いので、解り切つた事として、さう言つたものは殘さなかつたのではないでせうか。
もし、

「あ行・や行」の「い」
「あ行・わ行」の「う」

これらの違ひが文獻で見つけられないとすれば、さう言つた理由があつたからに違ひない、と空想したりしてゐます。



) 「¨(ウムラウト)」を冠した文字は、あるにはあるのですが、環境依存文字ですので、「文字化け」の可能性を考慮して、敢(あへ)て表記しませんでした。





四、願はくは

 これまでに述べて來た事が、總(すべ)て正しいとは思つてをりません。
 しかし、素人(しろうと)考へだから、と卑下ばかりもしてゐられませんので、さらに空想を(ひろ)げて見たいと思ひます。


 現在、國語辭典に記載されてあるもので、

 『あ行』の言葉としては、「は行・や行・わ行」であつたものが含まれてあり、
 『は行』はその「は行」音以外に、「あ行・わ行」の二つの音も代用してゐます。
 例を述べますと、

 『戀(こひ)』の「ひ」は、「あ行」の「い」の發音をしますし、
 『家へ』の「へ」は、「あ行」の「え」と同じ發音をしてゐます。
 『私は』の「は」も、「わ行」の「わ」と發音してゐます。

 筆者は、表記法としては、舊(きう)に復する方が良いのではないかと思つてゐますが、調べた所によりますと、この外に、

 『や行』の「い」の言葉であると思はれるものには、
 「誘(いざす・ゆう)・家(いへ・や)・言(い・ゆ)ふ・行(い・ゆ)く・歪(いが・ゆが)む・良(い・よ)い・忌(い・ゆゆしき)・色(いろ・よろし)・猶(いよ・ゆう)・尿(いばり・ゆばり)・癒(い・え)

 これらが掲げられますが、他に、

 「優・遊・幽・友・有・裕」

 これらは、現在「ゆう」と讀書きしますが、歴史的假名遣では「いう」と表記してゐましたので、
 「や行」の「い」として列擧しましたが、まだ他にも隨分あると思ひます。
 猶、「移(うつ)り」といふ言葉があり、これは「ゆつり」とも讀みまして、

 「Yuturi」

 の「Y」の無子音化したものでありませう。


 『や行』の「え」に就いては、萬葉假名遣で明らかになつてをります。

 「延・兄・江・枝・叡・曳・遙・要・吉」

 この外にも、

 「(えにし・ゆかり)・選(えら・より分ける)び・(えん・いろふ)

 などがあります。


 『わ行』の「う」の言葉はと言ひますと、

 「居(う・ゐる)・坐(う・ゐる)・愚(うこ・をこ)・吼(うた・雄叫(をたけ))き・泡沫(うたかた・わたかた)・浮く(湧く?)・烏(う・ゑ・を)・初々(うひうひ)しい=若々(わかわか)しい・怨(うらみ・ゑん)・現(うつつ・をつつ)

以上が掲げられますが、中には怪しいものもあるかも知れません。
 また別に、その同じ「行」で活用出來るものは、同じ「行」の言葉としても良いと思ひます。
 例へば、
『今夜』の「夜」が「や・よ」と活用されるのは、「や行」と認めたり、
『居る』の「居」が「ゐ・をる」と活用されても、「わ行」に變りはないといふ事ですから、さういふものを數へると、まだ外にも幾つかあるものと思はれますが、それは今後の語源の研究を俟()たねばならないでせう。


 『わ行』の「ゐ・ゑ・を」に就いては、古語辭典を調べれば解ると思ひますが、現代假名遣を使用してゐるこんにちでは、

 『や行』に「い・え」がなく、『や・ゆ・よ』でありますし、
 『わ行』にも「ゐ・う・ゑ」がなく、「わ・を」で、
 『ん』

 と教へてゐますが、少なくとも、

 『わ行』の「ゐ・ゑ」は復活させるべきではないかと思ひます。

 『や行』の「い・え」
 『わ行』の「う」

 この問題に就いても、
『あ行』と同じだから間違ひが起るのであつて、

『あ行』の「い・え」
『わ行』の「ゐ・ゑ」

のやうに文字が違つてゐれば、良いのではないかと思はれる。


それを次に示しますと、と言つても、この爲に文字を造つたとしても、世界通信網(インタアネツト)上での表示の問題がありますから、これまでに説明した漢字を振り當てておくに留めます。

あいうえお    アイウエオ
 かきくけこ    カキクケコ
 さしすせそ    サシスセソ
 たちつてと    タチツテト
 なにぬねの    ナニヌネノ
 はひふへほ    ハヒフヘホ
 まみむめも    マミムメオ
 や良ゆ枝よ    ヤ良ユ枝ヨ
 らりるれろ    ラリルレロ
 わゐ浮ゑを    ワヰ浮ヱヲ

これに就いては、再考の餘地もありませうが、かりにこの儘だとしますと、

 『あ行』は「い()・う(ウ・)()
 『や行』は「良()・枝()
 『わ行』は「浮()

 このやうに別の文字を使用した事になり、さうしますと、

 『あ行・や行・わ行』

 の區別が出來、言葉を使用するのに便利ではないかと思ひます。


 それがどのやうに便利かと申しますと、例へば、

 「消える」は「消ゆ」で『や行』ですから、
 「消()()る」と書き、

 「冴える」も「冴ゆ」で『や行』ですから、同じやうに、
 「冴()()る」と書くのです。

 では、何故さういふ風に表記し分けなければならないかと言ひますと、

 「ぢやあね」といふ言葉が何故、
 「じゃあね」といふ現代假名遣の表記では駄目なのかと言ひますと、
 「ではね」の轉(てん)で、
 『だ行』だから「ぢ」になるので、
 『ざ行』の「じ」を使つては間違ひだと知り得るのです。


 これが音として耳で聞いた時には、

 『ざ行』の「じ」
 『だ行』の「ぢ」

 これをはつきりと發音すれば聞き分けられるのですが、一般の日本人はさういふ訓練を受けてゐないので、喋る時にはどちらがどちらか曖昧になつて、基本的にはどちらも、

『ざ行』の「じ」

 として發音してゐるやうですが、文字に表す時には選擇を迫られるのです。

 『あ行』の「い・え」
 『や行』の「い・え」
 『わ行』の「う」

 この問題にしても、音による話し合ひの時には、どちらでも良いのでせう。


 しかし、文字で表す時には、これをはつきりとさせなければ、絶對(ぜつたい)に駄目だと思ひます。

 「岡(をか)」と
 「お母さん」の
 「おか」

は、音で聞いた時にはどちらも同じやうに聞えますが、文字に書く時には、このやうに違つて來ます。
 現代假名遣のやうに、文字の表記まで現代語音に基づいてしまひますと、

「お母さん」の「おか」は、
「岡」

が變化したものである、と言つても通用してしまふのではないでせうか。
「母なる大地」といふ言葉もあり、
「岡」はその大地が盛り上つた事を指すのだから、それを語源としても構はないのではないかと、實(まこと)しやかに講釋する事も可能になるのではないでせうか。


また、言葉の遊びでは、
「面白い」といふ事を、
「白犬だな」と言ひますが、これは、
「尾も白い」といふ事を引掛けてゐる譯ですが、音で聞く場合はそれでも構ひません。
けれども、これを文字で表記しますと、

「面白い」は「おもしろい」
「尾も白い」は「をもしろい」で、
「あ行・わ行」の違ひがあるのです。

かういふ遊びと正書法とを、一緒にしては良くありません。


現在の國語辭典にも、

『あ行』の「い・う・え」以外に、
『や行』の「い・え」
『わ行』の「う」

の項目を設ける事が出來ないものでせうか。
(かり)に、新しい文字を使用するといふ過激な事は控へるとしても、
『や行』の「い・え」と思はれる語群は『や行』へ、
『わ行』の「う」と思へる語群は、『わ行』へ記載して戴けないものでせうか。

さらに一歩を譲つて、
『あ行』の「い・う・え」の項目の儘であつたとしても、

『や行』の「い・え」
『わ行』の「う」

と思はれるものには、
『や行・わ行』の見出しを示して戴けないものでせうか。
さうする事によつて、言葉の整理がつき易くなると思はれます。
(なほ)
『や行』の「良()・枝()
『わ行』の「浮()
は飽()くまでも筆者の考案によるもので、それを實行(じつかう)する際には、廣く一般の人に、その字形を應募(おうぼ)する方が良いと思ひます。


また、外來語に就きましても、

「ベートーベン」

といふ現在の片假名(かたかな)表記よりも、舊(きふ)片假名表記の、

「ベエトオヴエン」

に改めるべきだと思ひます。
何故かと言ひますと、原語で、

「BEETHOVEN」

と表記しますが、
「ベ」の音にも、
「B」は「ベ」
「V」は「ヴ」
の二種類の表記法がある事が解ると思ひます。


(さら)に、

「Van」の「V」の場合ですと、「あ行・は行」の複合音の、
「フオ」と表記し分けてゐたのです。

その上、

「V」は、
「W」にも共通する場合があり、

「維納(ウイン・Wien)

は當初(たうしよ)
「ヴイン」とも表記されてゐました。
從つて、
「V」は、
「ヴ・フオ」の二つの表記法があつたといふ事になります。


これ以外に、外來語を漢字で表記してゐた時代もありました。

「貝多芬」とかいて、
「ベエトオヴエン」と讀みましたが、これは否定する氣はありません。
でも、出來れば、

「貝多芬(ベエトオヴエン)

と振假名(ふりがな)を記しておいて戴くと、有難いと思ひます。


ところで、同じ表記法でも、

「ベートーヴエン」

といふやうに、棒引文字だけは出來るだけ使用しない事を原則にしたい、と筆者は思つてゐます。
どうにも仕方がない時以外で、例へば、

「アアテイスト(藝術家)
「オオケストラ(管絃樂)
「ウオオタア()

などの二重母音の場合は、

「アーテイスト」
「オーケストラ」
「ウオータア」

と書いても構はないのではないかと思ひます。
詰り、

「ー」

これは文字といふよりも、符號(ふがふ)として使用する事を心掛けるべきだと思ひます。
勿論、文字も符號ですが、より符號的なといふ意味に解釋して下さい。


次に、アルフアベツトを片仮名表記する時の、表を示します。

「A」は『ア行』
「B」は『バ行』
「C」は「カ行・サ行・チ音及びヤ行の複合音」
「D」は『ダ行』
「E」は『ア行』
「F」は『フア行』
「G」は『ガ行・ヂ音』
「H」は『ハ行』
「I」は『ア行』
「J」は『ジ音及びヤ行』
「K」は『カ行』
「L」は『ラ行』
「M」は『マ行』
「N」は『ナ行及びン音』
「O」は『ア行』
「P」は『パ行』
「Q」は『カ行及びヤ行の複合音』
「R」は『ラ行』
「S」は『さ行』
「T」は『タ行・ザ行』
「U」は『ア行』
「V」は『ヴ音及びア行・フ音及びア行の複合音』
「W」は『ワ行・ヴ音』
「X」は『カ行及びワ行の複合音』
「Y」は『ヤ行』
「Z」は『ザ行』

以上のやうに表記するのが、良からうと思ひます。


勿論、ここに表記してあるものには、檢討すべきものがあるかも知れませんが、少なくとも、

「ヴアイオリン」
「ヴイヴアルデイ」

などは間違つても、

「バイオリン」
「ビバルデイ」

とは表記しないやうにするべきだ、と思ひます。

「ヴアイオリン」と表記する事により、
「Violin」の「V」が、
「Biolin」のやうに「B」と表記する事が間違ひである、と原語まで理解する事の出來る表記法を、誰が不合理といふのでせう。
古い事を正すのに、良い事まで捨て去る事を改良とは言へないだらう、と思ひます。

筆者は以上のやうな事を空想しながら、これがいつの日にか實現出來れば、どんなにか良いものだらうと思つてゐます。
願はくは、以上の事を眞劍に考へて下さる同志の方が、一人でも多くならん事を夢見つつ、筆を擱()きます。


一九八一年昭和五十六辛酉(かのととり)年師走二十三日午後五時  著者記す








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愛ニ飢タル男(AIUEO) Love-hungry man
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