2012年9月7日金曜日

敍事短歌(Tanka epic) 『愛二飢タル男Love-hungry man(AIUEO)』第四部(Part Four)いづこへ(Will go to where)

敍事短歌(Tanka epic) 

愛二飢タル男Love-hungry man(AIUEO)

第四部(Part Four)

いづこへ(Will go to where)









それは多分まだ冬も淺(あさ)い夕(ゆふ)べであらうか、まるでかさかさと人の世の儚(はかな)さを囁くやうな落葉を蹈みしめて、青年はもう何も求める事が出来なくなつたさすらひ人のやうにして、あの女性の住んでゐないと解つてゐる京都を訪れてゐるらしかつた。


青年は京都の街を見て廻りながら、自分もまたこの歴史を動かして來た人々の血を受け繼いで、此處(ここ)に存在してゐるのだと思つたが、しかし、青年は、恰(あたか)も異邦人のやうにして古都をさまよつた。


清水寺は雨に烟(けぶ)り、銀閣寺は月下に皓々(かうかう)とその姿を見せ、下鴨神社の「連理の枝」を見て堪へ難いやうな感動と羨望とを味はつた。
さうして、最後に八瀬の里を歩いた。


この京都には、最早、逢ひに來てくれる可き人の住んでゐない事を改めて思ひ知らされたが、それでも青年は、矢張、此處へ來ずにはゐられなかつた。
青年は、あの女性と過ごした場所へ來られただけでも幸せだつた。


しかし、その爲に青年は名古屋の家を引き拂(はら)ひ、殘つてゐた繪も、お登代さんや飛騨高山や大橋驛長の元に贈り、この京都で世話になつた寺の住職や喫茶店へ數枚を渡して、手元から全てなくなつてしまつた。
報道機關(マスコミ)の追跡も青年を惱ましたし、畫壇からの問合せにも應じる手段を講じられなくなつた。


それは將(まさ)に、何も得る事の出來ない僞りの幸せでしかなかつた。
青年は其處(そこ)に佇(たたず)みながら、身ひとつであの女性の側へ旅立たうと決意してゐるらしかつた。










青年は汽車を幾度も乘りかへながら夜をやり過ごし、そんな旅の途中で祝ふ相手もなく新年を迎へ、初夢といふものを見た。
その夢は、悲しみに鎖(とざ)されてゐた。


さうして、青年が眼を覺まして汽車の外の夜景が、次第に雪に白く埋れて行く樣を見るにつけて、青年は自分の頭髮までそのその色に染まつてしまふやうな怖れを抱いた。


一體(いつたい)、青年があの女性の事を思ひ始めてから、どれ程の歳月が過ぎたのだらうか……。


青年は、吹きつける雪の爲に車窓からの視界が遮(さへぎ)られて行くのを見ながら、丁度、自分の心と同じやうに悲しみに鎖されたこの現實が、青年の上に壓()しかかつて來るやうに思へた。

 









あの時あそこで降りれば良かつた、と青年は思つた。
何故さうしなかつたのか、と思つた。
しかし、今となつては、もうどうしようもなかつた。
青年は、その果せなかつた氣持の反動として、古びた小さな驛に降りた。
それまでにも、青年はあの女性の住む新潟駅の手前で、幾度となく汽車を離れ、その驛が近づくにつれて、降りて逢ひに行くべきかどうかを迷つた。


さうして、結局、青年はその驛に降りる事が出來ずに、こんなさひはての地へ足を蹈み入れてしまつた。
今すぐに、ひき返す事も可能であつた。
しかし、青年は躊躇した。


そんな虚(うつ)けた考へに氣をとられながら、青年は雪の上を歩いてゐて、不圖(ふと)氣がつくと立札が眼についた。
それは其處(そこ)に嘗(かつ)てあつたと思はれる、城の由來が記されてあつた。


その城も、御多分にもれず築いた人の手を離れ、やがて人の世の榮枯盛衰に從つて、何代にも亙(わた)つて主人を代へるといふ數奇な運命を辿つた城に違ひなかつた。


青年は、その石段ばかりの目につく城址に登つて行つた。
北國には珍しく、空は高く、何處までも澄んで碧(あを)かつた。

――涙ながらの日(ラクリモサ)

青年は思はず涙ぐんだ。








青年は更に旅を續けた。
津輕海を渡り、蝦夷(えぞ)の地へと足を蹈み入れた。
結局、それはあの女性から遠ざかる事に違ひなかつた。
白銀(しろがね)の世界が、青年の眼前に廣がつてゐた。
(まばゆ)いばかりの北海道の荒野をさまよつてゐたが、夕闇が降りても青年には行く當()てがなかつた。


青年は都心に入つて旅館を見つける度に、宿泊が可能かどうかを尋ねてみるが、何か大きな祭りがあるらしく、いづこも滿員だといふ答へしか返つて來なかつた。
底冷えのする大きな公園に佇(たたず)んで、青年は雪を弄(もてあそ)びながら、これからどうしようかと思つた。


あの女性のところへ行つてゐたならば、今頃は――少なくともこんな事にはならずに濟んだものを、と後悔さへし出した。

――主よ憐れみ給へ(キリエ・エレイサン)

旅の疲れが出たのか、青年は咳込みながら血を雪の上に吐きつけた。











青年は、眞逆(まさか)と思つた。

「忍さんに逢ふとは、思はなかつたわ」

「僕の方こそ、びつくりしました。

ホテルの喫茶店で、青年は對面した菊池陽子の明るい口調に感謝した。

「實際(じつさい)、助かりました。昨日、あの儘だつたら、凍え死んでゐたところでしたが、陽子さんに遭へたお蔭で、此處(ここ)に泊る事が出來て、本當に助かりました」

「雪祭りの時は、豫約がなければ、何處へも泊る事が出來なくつてよ」

笑顏を絶やす事のない陽子を見ながら、青年は言葉を續けた。

「それにしても、陽子さんが北海道の生れで、しかも、お父さんが、このホテルを經營してゐると聞かされた時は、二度、びつくりしました」

青年はさう言ひながら、珈琲を飲み乾した。


すると、陽子は呆れたやうに、

「あら、御存じではなかつたの? 彼女も此處(ここ)の生れよ!」

「えゝ!」

「ほら、此處からあの山が見えるでせう?」

青年は、陽子の指差す彼方を見た。
それは、雪に輝いた神々しい山の眺めであつた。

「羊蹄山と云つて、土地の人は、蝦夷富士と呼んでゐますわ」

「成程(なるほど)

青年が頷くと、

「あの山のやうに美しくあれと願つて、蝦夷美といふ名前にしたのださうよ」

「さうですか、でも……」

陽子は察したやうに、

「さうなの、新潟の家は、彼女の、蝦夷美の本當の兩親の家ではないの」

青年は驚くばかりで、身體(からだ)が震へさうだつた。

「蝦夷美のご兩親は、彼女が幼い時に遭難にあつて、亡くなられてしまつたので、蝦夷美は天涯孤獨の身になつてしまつたの。その時、子供のゐない優しい夫婦に貰はれれて行つた先が、今の新潟の家といふ譯なの。

青年は震へが止まらなくなつた。


身體に力が入り、手は汗ばんでゐた。

「わたし、もう蝦夷美を見ていられなくて!

陽子は涙ぐんで、

「今頃、病院の中で寂しい思ひをしてゐるにちがひないわ!

青年はなんとも言ひやうがなかつた。

「御免なさいね、こんな事を言ひ出して」

「いいえ、僕は……」

「いいの、なにも仰有(おつしや)らなくて。それより、どうぞごゆつくりなさつて下さい」

陽子はさう言ふと立上がりかけて、

「あゝ、お父樣がお會ひしたいとの事でしたわ。晝(ひる)ごろに伺ふと思ひます」

青年は、さう言つて去つて行く陽子の後ろ姿を見てゐたが、やがて自分も部屋へ戻ると、居たたまれないやうな憂鬱に閉ぢ込められた。


午後になつて、菊池親娘が青年の部屋を訪れた。

「初めまして。この度は、大變ご迷惑をおかけしまして」

恰幅のいい陽子の父親は、手を握つて、

「いやいや、困つた時は、お互ひ樣ですよ」

さう言ひながら、名刺を取出した。


青年はそれを受取つて、

「生憎(あいにく)、僕は、名刺を持つてをりませんので、失禮(しつれい)します」

「ほう、貴方ほどの人が、名刺を持つてゐないとは、聞きしに勝る、變(かは)り者ですな」

陽子の父親、菊池博之は葉巻を取出しながら、愉快さうに笑つた。

「恐縮します」

「失禮よ、お父さん!」

陽子が二人を見廻しながら、恥かしさうに窘(たしな)めた。

「なんて事はないよ。それよりも今日は札幌の雪まつりだから、見物でもして、氣を紛はすと良いでせう

「どうも、有難う御座います」

青年は素直に言つた。

「ところで、あなたは、まだ食事をなさつてらつしやらないと思ひますが」

「氣分がすぐれませんので」

「それは良くない。どんな時でも、食事だけはしなければ」

菊池親娘は、二人で目配(めくば)せをすると、

「どうです、一緒に食事をしませんか。ねえ、さうしませう!?

菊池博之が言ひ終へるない内に、陽子は電話口でなにかを註文してゐる風で、青年に有無を言はせなかつた。


間もなく、豪華な食事が青年の部屋に運ばれて來た。

「どうぞ、召し上がつて下さい」

陽子のさういふ言葉にも、青年は微熱があるのか、あまり食事がすすまなかつたが、菊池親娘の温かい待遇(もてなし)に、大橋親娘の事が懷かしく思ひ出され、今頃はどうしてゐるのだらうかと思つたりした。


食事を終へると、陽子が札幌の街を案内しませうかと言ひ出して、青年は戸惑つた。

「それは良い!」

青年は、菊池親娘の提案に從ふ事にした。
出かける時、陽子が父親から何か耳打ちしされてゐるのを、青年は目ざとく見つけてゐたが、氣がつかないふりをしてやり過ごした。


雪は止んでゐたが、札幌の街は白く冴え渡つてゐた。
街は雪祭りの幻想的な雰圍氣を早くも傳(つた)へてゐて、到るところに人集(ひとだか)りがしてゐた。

「札幌は、随分人が多いですね」

青年は、往來を行き交ふ人々を見ながらさう言つた。

「お祭りだからよ」

「あつ、さうか、さうだつた」

青年は、今更ながら肯首(うなづ)いた。

「ね、忍さん」

陽子は急に改まつた樣子で、青年を見た。

「なんですか」

「あなた、お身體の具合が惡いのぢやなくて」

青年は慌てて、陽子から視線を逸らせた。

「さつき、父に言はれて、

陽子は心配さうに、

「言はれてみるとそんな氣がして、わたしも心配になつて來て」

「そんな事はないですよ。大丈夫です」

青年は、何かを隱すやうに強がつて見せた。

「それなら宜しいのですけれど……」

しかし、陽子の言葉とは裏腹に、青年の病(やまひ)はもうどう仕様もないところまで進行してゐるらしかつた。


大柄な陽子と竝んで歩くのさへ、青年には疲れた。
青年は發作が起りさうになつて、急に立止つた。
次の一歩が蹈み出せなかつた。
目がかすんで、發熱さへしてゐた。
青年は思はず咳込んで口を覆ふと、手にべつとりと生温かいものが纏はりついて、指の間から滴り落ちて雪を赤く染めた。


「忍さん!」

陽子は、蒼白になりながら驅け寄つて來た。

「大丈夫、大丈夫です。もう、慣れてますから」

周圍の人々奇異な眼差しを浴びながら、青年は手巾(ハンケチ)で口や手にこびりついたついた血を拭(ぬぐ)つた。
さうして、何事もなかつたやうに、人垣の中をまるで死の世界へでも向かふかのやうに、しかし、しつかりとした足取りで、陽子と一緒にホテルへ續く道を通り拔けて行つた。

――主・耶蘇・基督(ドミヌ・イエス・キリスト)










青年は、終()ひに病床に伏さなければならなかつた。

「忍さん、氣がつかれましたのね」

青年は意識を取戻して心配さうな陽子の顏を見た時、自分は陽子の自宅にゐるのだな、と判つた。

「随分と心配しましてよ。長いこと熱に魘(うな)されていましたもの」

さう言つて、陽子は青年の額(ひたひ)に手を當()てた。

「濟みません。御迷惑ばかり、かけまして」

陽子は、莞爾(につこり)と笑つて首を横に振つた。

「何も氣にせずに、ゆつくりと養生して下さい。忍さんは、まだ若いんですものね」

しかし、陽子の心の奧はその笑顏と違つて、暗然たる思ひであつた。


幼馴染(をさななじみ)の蝦夷美は胸の病で入院し、今またこの青年も胸の病に侵されてゐて、しかも、この二人は互ひに好き合つてゐるといふ事が、陽子には哀れでならなかつた。
さうして、彼の事を蝦夷美に報せるのは、暫くあと廻しにするしかないと思つた。
それでも、陽子の看病の甲斐があつたのか、青年は日一日と、次第に起き上がれるやうになつて來た。


一週間も經つと、青年は庭を散歩するやうになつてゐた。
時々、陽子に見つかつて、

「まだ、無理をなさつてはいけませんわ」

と心配顏で言はれたが、青年はぢつとしてゐられなかつた。


陽子の父親は、青年に何も言はなかつた。
(しゆれふ)が趣味らしく、部屋で話をする時にはいつも自慢の獵銃を手にして、その狩獵談議に講じる陽子の父親であつた。
青年は感心して、肯首いてゐるばかりだつた。


陽子とその母親は音樂好きで、青年を高價な音響機器のある居間へ招いては、音樂を観賞してゐた。
陽子の母親は賢夫人で、この人があつたればこそ、あの菊池博之氏の今日があるといふ事が肯首けさうであつた。


陽子は音樂が本當に好きらしく、横笛を習つてゐて、毎週一囘、教師が教へに來てゐた。
靑年もつられて眞似事でもしようと思つて、練習用の樂器で一緒に習つたりしてゐた。
外出も儘ならず、繪も描かなくなつた青年にとつて、それはひとつの慰めになつた。


或日、陽子の父親が見せたいものがある云つて、青年の部屋に來た。

「良いですか、これは誰にも内緒ですぞ」

さう言つて、持つてゐた箱の蓋を開けた。
中には、よく手入れがされてあるのか、黒光りのした拳銃が二挺入つてゐた。

「ひとつは、昔、私が軍隊にゐた時、使用してゐた銃ですがね。

菊池博之は、さう言つて青年の顏を見た。

「もうひとつは、私の友人の愛用してゐた銃で、そいつが戰地で病死した時の形見として、私が今日まで預かつてゐるのです。そいつに身寄りでもゐれば、これを返さうと思つたんだが、生憎(あいにく)あいつは戰爭で肉親どころか、自分自身の生命さへもこの世から失つてしまつて、未(いま)だに私がかうしてこれを持つてゐるんです。勿論、これは法的には違反してるんですがね。見つかれば罰金ものですな。獵銃さへ持てなくなるでせう」

青年は、それ程までして手元に置いておきたかつた菊地氏の心情が解るやうな氣がして、その繊細な一面を見たやうな氣がした。
力技だけでは、一流の企業の上には立てないといふ事なのだらう。

「解るやうな氣がします」

青年はさう言つたものの、なぜ菊地氏がそれを自分に見せたのか解らなかつた。

「あなたは、銃はお嫌ひですか」

「いいえ、この間から、興味を覺えてをります」

「さうでせう。人間は趣味を持たねばなりません。いや、持たないよりは持つた方が良い。人生に張りと廣がりが出來ますからな」

「さうですね」

青年は釋然としなかつた。

「實(じつ)は、この内のひとつを、あなたに差上げようと思ひましてな」

「えゝ?!

「いえ、貰つていただくから、どうといふ事はありませんがね。

菊地氏は言ひ難(にく)さうに、

「つまり、病弱な者に、龍の彫物(ほりもの)を施(ほどこ)すと強くなる、といふあれですな」

青年は納得した。
と同時に、有難く思つた。


菊地氏は青年の心の據()り所として、それを青年に送らうとしたのであつた。
無論、菊地氏の内面に青年を好ましく思ふ氣持がなければ、この話はなかつたに違ひなからうが、それにしても青年は、さうですかと言つて受取つて良いものかどうか、迷つた。
確かに、銃には少なからず興味を覺えたが、だからといつて受取る理由が、青年側に見つからなかつた。

「手入れだけは、缺()かさずにやつてをりましたからな」

菊地氏はさういふと、自分の使用してゐた拳銃と二發の彈を、青年の前に置いた。

「こちらの銃は、友人の形見ですからな」

さう言つて、菊地氏は銃の取扱ひをひと通り説明すると、青年の部屋を出て行つた。


青年は、その冷たい銃を手にして眺めてゐた。
流石(さすが)にずしりと重たかつた。
樣々な胸の思ひが消えて行くやうだつた。
それ以來、青年は暇(ひま)を見つけては、その銃を魅せられたやうに磨いてゐた。
その外(ほか)に、青年の樂しみは、横笛の練習だけしかなかつた。
菊地一家は青年を篤くもてなしてくれたし、その事で青年には何の不滿もなかつた。


ある夜、青年は露臺(ヴエランダ)に出て、習得したばかりの曲を演奏してゐた。

――祝福あれ(ベネデイクトス)

星は風に震へるやうに煌(きら)めいてゐた。
青年は、遠く離れたあの女性の事を思つた。
然し、その演奏に應へてくれる何ものもなかつた。
星さへも、あの女性の心象(イメエヂ)を思ひ起こさせなかつた。

  







青年は、汽車に乘りながら不吉な豫感に囚(とら)はれてゐた。
菊地親娘の家に身を寄せてゐた青年は、胸の病も暫く影を潜め、嚴しい冬のひと時を、豐かで幸福な暮しを過してゐたが、そんなある日、陽子の元にあの女性からの手紙が來て、その明るい内容に安心したのか、陽子はその手紙を青年にも見せた。


青年もそれを見て心底から慰められてたが、そのすぐ後に、その養母から蝦夷美の容態が思はしくないといふ手紙が来て、陽子を驚かせた。
それを知つた青年は、菊池親娘へお世話になつた禮(れい)もそこそこに、津輕海峽を越えて新潟へ向ふ可く、車中の人となつたのであつた。


青年は緊張の所爲か、車窓から外の雪景色を眺めてゐたが、雪の眩しさに次第に目が疲れて來たのか、うとうとと微睡(まどろ)んでしまつた。
青年は、その淺い眠りの中で夢を見た。
しかし、それは嘗て味はつた事のない、幸福に滿ちた夢だつた。


夢を見ながら、青年はそれが却つて不安だつた。

――犧牲と祈りを(ホステイアス)

夢の中での青年は、山深い村里の小さな家で、あの女性と一緒に暮してゐた。
その二人の暮しぶりは、創世記から共に生きて來たかと思へる程、強い絆で結ばれてゐるやうに見えた。
あの女性は、あと數箇月で子供が生れるのか、乳兒(にゆうじ)の爲の衣服か何かを編んでゐるやうに見えた。
青年の寢顏は、微笑さへ浮んでゐた。


青年は夢の中の二人を見ながら、この二人の生活がいつまでも續く事を願つた。
それは、青年自身が希求して止まなかつた生活に違ひなかつた。
しかし、青年はまるで何の理由もなしに、その夢を中斷させられた。
何の理由もなしに……。
夢から醒めた時、青年はより一層の不安感に押し包まれた。









(やうや)く、あの女性に逢ふ事が出來る。
青年は雪に埋れた新潟驛を降りた時、さう思つた。
さうして、何と長い旅だつたのだらうかと思つた。
青年は、霏々(ひゝ)として雪の降る新潟の街を暫く歩いたり、喫茶店に入つたりして過した。


多感な少女時代を送つたあの女性の古風な人柄も、この街で育まれたのかと思ふと、この街の風物が他の街と違ふやうにさへ感じられた。
午後になつて、青年はあの女性の育つた中村の家を訪れた。
折から激しく降り出した雪は、その家を永劫の時の彼方からこんにちまで、人の營みを停止させてゐるかのやうに、靜かなたたずまひにさせてゐた。


その家の門前に立つた時、青年は驚かずにはゐられなかつた。
青年の豫感は的中してゐた。
入口には『忌中』と書いた札がかかつてゐた。

――主よ、憐れみ給へ(キリエ・エレイサン)

もしやと思つて受附に行くと、従業員らしき若い男性と老齡の婦人が來客の對應(たいおう)をしてゐた。


青年は受附にゐる老婦人に、恐る恐る尋ねた。

「どなたが、お亡くなりになつたのですか。まさか」

「娘の蝦夷美の、通夜で御座いますが」

老夫人の答へに、青年は眩暈がした。


眼の前が眞暗になるとといふのは、かういふ事かと思はれた。


何處となく窶(やつ)れた老夫人は、急に何か思ひ當る事があつたのか、

「もし、あなた樣は、日向忍さんでは御座いませんか」

青年は途惑つた。

「えゝ、さうですが」

「やつぱり。

あの女性の養母かと思はれる老夫人は、そのまま絶句してゐたが、やがて、

「實(じつ)は、あなた樣の事は、娘の蝦夷美からきかされてをりました」

「はあ……」

青年は言葉が見つからなかつた。

「あなた樣の來られるのを、待つてをりました。もしかしたらと思つて、手が空いた折には、かうして受附に顏をだしてをりました。

物腰の柔らかな老婦人は、崩れ落ちさうな細い身體を、何とか操るやうに氣丈に振る舞つて、

「あなた樣には、一方(ひとかた)ならぬお世話をおかけ致しまして……。

青年には意味が解らなかつた。

「娘が申しますには、あの着物の圖柄(づがら)は、あなた樣から送られたものだとの事でしたが……?!

青年は合點(がつてん)した。

「僕は、その方面では素人ですので、あれがお役に立つたなら、願つてもない事です」

老婦人は、更に改まつて、

「そのお禮も、申し上げねばなりませんが、實はそれ以外にも……」

と老婦人が言ひ終へぬ内に、悲報に驅けつた人々が老婦人の元に集まつて來て、二人の會話は中斷されてしまつた。


家の奧から、あの女性の友人かと思はれる若い女性が現れて受附を替つても、青年は老婦人と話す暇(いとま)はなかつた。
深夜になつて、菊池陽子が北海道から出て來た。


翌日、中村蝦夷美の葬儀と告別式は、降り頻る雪の中でしめやかに執り行はれた。









青年は失意の儘、最上川の邊(ほと)りをさまよつてゐた。
雪はこの二週間、止む樣子もなく降り續いてゐた。

――思ひ給へ(リコルダアレ)

まるで降り續くこの雪と同じやうに、あの女性の死顏(しにがほ)が青年の腦裡から消えて行かなかつた。

   
通夜の時、青年は養父母に導かれて、あの女性の死顏を見せられながら、

「娘の遺品を整理しておりまし折に、斯樣(かやう)な日記が出てまゐりました。日記などといふものは、普通、どなたにも見せるべきものでは、御座居ませんのでせうが、手前どもが目を通しましたら、どうもこれは、あなた樣に讀まれるのが一番、娘の生前の思ひに適(かな)つてゐると思ひまして……」

さう言つて、一册の日記帖を手渡した。
しかし、青年はあの女性の日記を讀む勇氣はなかつた。


次の日、何處までも響いて行きさうな靜かな雪の降る中で、葬儀が始まり、告別式へと移つた。
葬儀の前から終始無言だつた青年も、燒香を終へ、出棺となつて愈々(いよいよ)最後の別れに、活花(いけばな)をあの女性の上に置いた時、思はず涙を流した。
すべてのものが、視界からかすんで見えた。
蓋に釘を打つ手も震へて、打ち下ろす度に青年の身體(からだ)に痛みを伴つた。


やがて、あの女性の横たはつてゐる柩(ひつぎ)が靈柩車に運び入れられ、降り頻る雪の中を火葬場へと向つた。
青年と陽子は、中村家の取り計らひで身内同然に扱はれて、燒場の骨揚げまで許してもらふ事が出來た。


青年はあの女性の遺骨を拾いながら、自分もそのまま死んでしまひたいと思つた。
陽子は、青年を支へるやうにつき添つてゐた。
青年は、中村家に二日だけ逗留してゐた。
その別れ際まで、青年は中村家の人や陽子に、生きる事を強く諭(さと)された。


その後、全ての絲が切れたやうに、青年は何日も當()てもなく越後の街をさまよつた擧句に、この最上川の邊りに來たのだつた。
青年は、あの日からまだ一度も日記を讀もうとはせずに、毎日、川の流ればかりを眺めてゐた。


川には、青年の分身にも似た流木がただよつてゐて、その幾つかは岸に打上げられたりしてゐた。
青年はその流木を見ながら、京都の下鴨神社で見た『連理の枝』を思ひ浮べた。
しかし、あの女性が存在しなくなつた今となつては、結局、青年にとつてはあれも果敢無い夢でしかなかつたのだ、と思つた。









それは多分まだ冬も嚴しい暮れ方であらうか、まるで生きてゐるのがつらくなるやうな吹雪の中で、青年は熱に魘(うな)されさうな身體(からだ)をひき擦つてゐるらしかつた。
もう何も失ふもののなくなつた青年にとつて、怖れも飢ゑも、痛みさへも感じなくなつたゐた。

――平和を(アニユス・デイ)

青年の唇や服の一部には血が凍(こほ)りついてゐたが、青年は氣にする樣子もなかつた。


青年にはこの幻想的な雪が、まるで花の舞ひ散るやうに温かく思はれた。
それは青年の命を削つてゐる病魔が齎(もたら)した、熱の所爲(せゐ)かも知れなかつた。
しかし、目を覺ましながら見る夢にしては、青年の顏は頗(すこぶ)る幸福さうであつた。


青年には行くべき處もなかつた。
それでも青年は、この新潟から立去る事だけは出來なかつたのか、せめて日本海の荒波を見ようとしてゐるらしかつた。

――親不知

青年は確かに、まだ其處(そこ)に存在してゐた。


熱の爲に意識がなくなりさうになりながらも、青年はゆつくり身體を動かす度に、自問自答をくり返してゐた。

――自分の一生は、一體なんだつたのだらうか。

しかし、青年はあの女性を時の流れの中でだけで、忘れてしまへる存在として愛したのか、と思ふとやり切れまかつた。


だからと言つて、アダムとイヴのやうに、この世界に男と女が二人だけで生きてゐる時こそが、最高の愛の形だと言へるだらうか。
確かに、その二人の間に愛さへあれば問題はないだらう。
だが、どちらか一人でもその相手を憎んでゐるとしたら、あるいはもつと消極的に愛せなかつたのだとしたら、人類の今日の繁榮は有得なかつたのではなかつたか。
いや、他の動物が愛のない繁殖をくり返してゐるのではないとすれば……。


その時、人類だけが愛のない繁殖を行(おこな)へるのではなかつたかのだらうか。
恐るべきは、この人間といふ畸形兒(きけいじ)ではなかつたのか。
もしアダムとイヴに愛が存在し、二人の幸福な生活が、途中でひとりの死によつて奪はれた時、生き殘つたもうひとりは人類の繁榮を願つて生きるといふのだらうか。
それはあるいは生への執着によつて、生きてゐるに過ぎないのではないか。
また、それは他に愛すべき對象が存在しなかつたから、別の異性を愛せないに過ぎないのではなかつたか。


本當に死んだ人を愛してゐたならば、その人の爲にどんな苦勞も厭(いと)はぬやうに、死んだ相手を慕つて殉死するのではないだらうか。
たとへ人類が滅びやうとも、あるいは他の異性が存在しやうとも見向きもせずに……。


本當の男女の愛は、この世に男と女とが二人しか存在し得ない事をいふのだらうか。
だが、それならばたとへ何阡何億の男女が存在しやうとも、常に愛し合つた二人がアダムとイヴでありさへすれば、それで良い筈ではないのか。
青年とあの女性とは、アダムとイヴではなかつたといふのだらうか。


青年はそんな事はないと否定しながら、もう考へる事に疲れたのか、今、初めて大事に持つてゐた、あの女性の殘した日記を讀まうとしてゐた。
身體が痺れて、指を動かすのも思ひ通りにならなかつたが、不思議と頭の中だけは冴え渡つてゐた。
雪は、青年の上に猶(なほ)も激しく降り續いてゐた。


青年は何度も涙を流しながら、漸く、日記を讀み終へた。
さうして、青年は嚴(おごそ)かに拳銃を取りだした。
夜の帷(とばり)が下り始めてゐたが、雪はそれでも美しく光つてゐた。
もうなにも思ひ殘す事はなかつた。
日本海の荒波が断崖に叩きつけられてゐるのを眼前に見ながら、青年はゆつくりと銃口を蟀谷(こめかみ)に當()てた。





十一




――永久の光を(レツクス・エテルナ)
 
 海の見える斷崖に、青年の墓は建てられた。






§







愛ニ飢タル男 「後 書」


 一つの制約の中で、人間は一体どれだけの事が出來るものであろうか。私はそれを試して見る心算で、これを書いた。
 私は可成苦心した。一つの物語として、短歌を使って見たのは莫迦気た事かも知れないが、私としては必死の方であった。
中でも、困ったのは「らりるれろ」の行である。
これは言葉が非常に少なかった。
 物語とする為に、多少意味の不可解な所が出来たかも知れない。それに、題には苦心を払った。
尤も副題は別だが。
 「愛飢男」を「哀飢男」とするか否かというのに、多少戸惑ったのであるが、結局、今のようなものに落着いた。
 短歌とか發句というものは、一般では難しいという觀念があるやうだが、そうでもないという事を知ってもらえば幸甚である。
何しろ、下らないきっかけからこれを創るようになったのだから、第一、「あいうえお」を順に並べて行くという事自体が、巫山戯(ふざけ)ているし、莫迦にしているように思われるかも知れないが、これは、私は読んだ人の批評に任せて、敢て、その事には触れずにおく。
 物語を、青年インテリの好みそうな物に創ったと思えば腹も立つが、そうは思っていない。
 又、このようなものを「折句」といって、これは道楽であって芸術とは別にされるものだが、私はこれを道楽で書いたのではない。或は、私はこれを芸術として書いたのでもないかも知れない。尤も、藝術といっても今日的なものとしての意味だが。
 偉そうに、一つの制約の中で、人間はどれだけの事が出來るものであろうか、などといってはいるものの、何にせよ、こんな作品を書いたという事は、私が如何に閑人(ひまじん)であるかという事を証明したという事にほかならないようである。

   昭和四十四年五月十四日 午前三時頃


§ 




再々後記


到頭、完結版を發表する事が出來た。
以前にも書いたが、この物語の全體は空想の産物には違ひなく、現實味を演出する爲に實在の土地の事を書いてはゐるものの、それとても本當に訪れた場所は少なく、寫眞や書物での知識から想像したものも隨分とある。
資料的には不足してゐて詳細に描寫が出來たとは言ひ兼ねるが、雰圍氣を味はつてもらへればといふところでご勘辨(かんべん)を願つた次第である。


それらは物語だから許される表現方法だと思はれるが、行き過ぎると物語全體をぶち壊してしまふ事にもなり兼ねない。
この作品でも氣になる處があつて、それは例へば拳銃を手に入れる方法などは、強引ではなかつたかと思つたりしてゐるのだが、物語の最終場面(ラストシイン)をどうしても主人公の死で締め括りたかつたので、それも世間的にはどうかと思はれる自殺といふ事だつたから、それにはどんな方法があるかと考へて見ると、

「燒身自殺・投身自殺・首吊り自殺・服毒自殺・入水(じゆすい)自殺・自殺・割腹自殺」

等々が思ひつくが、これらの方法を採用しなかつた理由は、讀者から物語を理解してもらへず、下手をすると非難を覺悟しなければならなかつたかも知れないといふ事も頭を過(よぎ)つたには違ひないが、何よりも生々しさを避けたかつたのが最大の理由で、それには獵銃(れふじゆう)よりもさらに入手の困難な、それも戰時中の拳銃を想定する事にしたといふ譯である。


この外にも、最終場面の、

『拳銃を蟀谷(こめかみ)に當てた』

といふ表現の、『蟀谷』は本當は、「顳(せふ)」といふ漢字と、「需」と「頁」を組合せた漢字「(じゆ)と讀む」のふたつで、「こめかみ」と讀み、それを採用したかつたのだが、後ろの文字が「環境依存文字」なので使用出來なかつた事が殘念だつたと思つてゐるが、こんな事は讀者には瑣末な問題で、言はでもの事かもしれない。


これで漸く長い間、胸に閊(つか)へたものが取り除かれたやうで安堵してゐる。
その上、莫差特(モオツアルト・1756-1791)の音樂、

『死者の爲の彌撤曲 K.626』

を併用して観賞しながら物語を讀む事が出來るなんて望外の驚きで、その効果は筆者の想像を遙かに上廻るものであつたやに思はれる。
それが讀者にもさうであつたなら、これほどの喜びはないと思つてゐる。


二〇一〇年霜月(しもつき)晦日(みそか)午前二時過ぎ







     關聯作品


『愛ニ飢タル男』のわたしの作品に於ける私感(わたくしかん)
http://murasakihumio.blogspot.jp/2012/09/blog-post.html



     始めからどうぞ

第一部(The first section) ゆきづり(Love of casual)
http://murasakihumio.blogspot.jp/2012/01/mozart-requiem-kyrie-yamaha-qy.html


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