敍事短歌(Tanka epic)
『愛二飢タル男Love-hungry man(AIUEO)』
第三部(Part Three)
たましひ(Soul)
一
それは多分まだ夏も初めの朝であらうか、まるでしとしとと滴(したた)るやうな爽(さは)やかな陽射しを浴びて、青年は郊外にある自宅附近を散歩してゐるらしかつた。
散歩は、青年の生活の一部にさへなつてゐた。
自宅のすぐ近くには庄内川が流れてゐて、その堤を歩いてゐると、季節に應(おう)じた花が青年の心を慰めてでもくれるやうに感じられるのか、青年はひたすら自然の中にその身を任せてゐるらしかつた。
青年は、一時ほど報道機関(マスコミ)にその姿を見せる事はなくなつてゐた。
人氣は依然としてあつたが、青年は世間の人々の要望に應(こた)へるのが苦痛であつた。
ある時期を境にしてから、急に報道機関に顏を出さなくなつた青年をして、ある高名な二、三の評論家はその出演拒否が高慢であるとして青年を攻撃したが、青年は、さういふ事に頓着しなかつた。
その孤高の姿勢が素晴らしいと、青年の人氣の幅は廣くなつた。
青年の虚名が増せばます程、青年は自分の孤獨が深まるのを感じた。
けれども、生活の安定が青年の藝術性を堕落させる事はなかつた。
青年は、起伏の少ない日々を味はつてゐた。
穩やかな、何處までも透きとほつた心象風景の中に青年の毎日はあつた。
時折、陽子からあの女性の消息を知らせる便りが屆いたが、青年はそれをどうするといふ當(あて)も見出せず、畫室(アトリエ)での創作と自然の間を往來(ゆきき)してゐるばかりだつた。
しかし、青年の心からあの女性の俤(おもかげ)が消え去るとは思へなかつた。
いや、寧(むし)ろ一刻でも早くその側に行きたいといふ願望のあらはれでもあるかのやうに、青年の描くその繪には季節を彩る花の繪が殆どを占めてゐた。
それは青年にとつて『花の時代』とでも稱(しよう)する事が出來た。
青年は、明らかにそれらの花にある思ひを托してゐた。
夏も盛りのある日、青年は撫子の花を見つけて自宅に持ち歸(かへ)つた。
手折つた時の切ない感覚は、青年の指に痛みさへ伴つた。
青年は後悔した。
しかし、それは花を手折つた事でななかつた。
――どうしてもつと以前に、あの女性を手折らうとしなかつたのだらうか。
青年はさう思つた。
二
青年は雨の音で目を覺ました。
雨の所爲(せゐ)か外は夕暮のやうな暗さだつたが、時計を見ると、まだ午前十時を過ぎたばかりであつた。
昨夜(ゆふべ)は夜半まで撫子の繪を一心に描いてゐたので寝たのが遲かつたが、尤も、このやうな事は青年にとつてはいつもの事であつて、起きてゐる時は二、三日でも徹夜で起きてゐるし、また寝るとなると一日中でも二日間でも眠つてゐるのは珍しくなく、今日にしても一般の人から見ると遲い朝といへたが、青年にすればいつもより早起きをしたぐらゐのものであつた。
少し前に雨が激しくなつて、青年はそれで目が覺めたのだつた。
雨は今も激しく降つてゐる。
青年は、部屋の燈(あか)りも點(つ)けずにゐたが、不圖(ふと)、昨日、机(つくゑ)の上(うへ)に置いた撫子の一輪挿(いちりんざし)がなくなつてゐるのに気がついた。
不吉な思ひで臺所(だいどころ)へ行くと、食卓の上に便箋が一枚あつて、その横に食事が布巾に覆はれて用意されてあつた。
恐らく、近所に住んでゐるといふので何くれとなく面倒を見てくれる、お登代さんの所爲だらう。
お登代さんといふのは四十搦(しじふがら)みの太つた身體(からだ)で、先年、癌で良人に先立たれて、今は十八歳になる娘と二人で暮してゐる愉快な人である。
朝とも晝(ひる)ともつかない食事を濟ませ、畫室(アトリエ)へ戻つて窓の外を見ると、雨が小降りになつてゐた。
青年は畫布(キヤンバス)に向つたが、一向に創作の意欲が湧かず、ぼんやりと物思ひに耽つてゐた。
それといふのも、今朝目覺めた時に撫子の一輪挿が見當(みあた)らなかつた事が、妙に氣になつたからだつた。
勿論、あれはお登代さんが氣を利かせて片づけておいてくれたものだらうが、さうでないとしたらと思ふと心が騷いだ。
そんな物思ひに沈んでゐると、急に戸を叩く音が聞えた。
「珈琲をお持ちしましたわよ。
明るい聲でお登代さんが入つて來た。
「まあ、こんな暗い部屋で、病人見たいですわよ」
さう言はれて窓の外を見ると、なるほど暗かつた。
お登代さんが點けた電燈が眩しかつた。
「ところで」
青年は珈琲を呑みながら、撫子の件を持ち出すと、
「散つてましたので、片づけましたわよ」
と、お登代さんはいつもの明るい調子で、事もなげに言つた。
青年は安心したやうな氣持がしたと同時に、あの女性と花の残像が二重映(にぢゆううつ)しになつて、青年の腦裡に蘇つた。
三
青年は、花の繪を描き續けてゐた。
しかし、近頃次第に青年は心の畫布(キヤンバス)に描くだけで、それを外に表現するのがそれほど重大な事だとは思はなくなつてゐた。
名聲(めいせい)や地位を得(う)る爲(ため)に繪(ゑ)を描いてゐたのではなかつたし、無論、金儲けの爲などでは決してなかつたが、それが自ら求めずとも得られた今日(こんにち)、青年は、この生活そのものに厭氣(いやけ)がさしてゐた。
氣持の上ではどちらにしても同じ事なのだらうが、それが何か今の生活の微温湯(ぬるまゆ)に神經が鈍つたやうな氣にさへなつて、寧(むし)ろ、以前の似顏繪を描いてゐたあの頃を、懷かしく思ひ出すやうになつてゐた。
ある日、青年は花屋の店先に飾つてあつた美しい花を求めて、畫室(アトリエ)に持ち歸つた。
全くその花は可憐で美しかつた。
けれども、何か物足りなかつた。
謂(い)はば、それは一番大切なものを犧牲にして手に入れられた美しさのやうなものだと言へた。
この花は、花屋で賣り買されて得られた美しさをしか、青年に與(あた)へなかつたのかも知れなかつた。
翌朝、その花は短い命を終へて、机の上にその骸(むくろ)を晒(さら)してゐた。
この花は、青年にとつて一番大切なものである、あの女性に捧げられた時にこそ輝くのかも知れなかつた。
青年は、その花を哀れむと同時に、自らも苦しんだ。
まるで何かを諦めなければならにやうな花の散り方に、自己滿足の形で花を求めた罪が、この罰を與へたのかも知れないと思つた。
四
青年は、その散つた花瓣(はなびら)を叮嚀に積重ねては吹き飛ばしたりしながら、自分にとつて一番大切な女性は、今頃なにをしてゐるのだらうかと思つたりしてゐた。
――コンフタアテイス(呪はれしものを罰し)
青年は、自然の中に咲く花こそが一番美しいと思つた。
五
その日から、青年は野に咲く花を家の中にまで持ち歸つたりする事はしなくなつた。
さういへば、以前に野の花を美しいと思つて、家の庭に移しかへた花はどうなつてゐるのだらうかと氣になつて見に行くと、まだ美しく咲き誇つてゐた。
青年は、花の繪を描くやうになつた最近でこそ花の名をいろいろと覺えたものの、それでもこの花はなんといふ名かは知らなかつた
しかし、そんな事よりももつと青年を重い気持ちにさせたのは、野邊に自然に咲いてゐた花を、自分の氣まぐれから庭へ移しかへた事だつた。
それは自然から盗んだ事に外ならなかつた。
ただ、それがまだ散りもせずに殘つてゐた事だけが、青年にとつて僅かな慰めであつた。
青年は、早くその花の繪を描かうと思つた。
その花の繪を描き上げるのは、何日もかかつた。
青年の筆さばきは、神技に等しかつた。
恰(あたか)も、花の生命を吸ひとるやうに、畫布(キヤンバス)に描かれて行つた。
さうして、それが完成すると同時に、花は魂(たましひ)を拔かれたかのやうにして散つた。
青年は、その花の亡骸(なきがら)を手にして野邊に出た。
庄内川の堤(つつみ)の一角に、青年はその花を弔(とむら)つた。
まるであの女性との愛が再び成就する事を祈るかのやうにして、青年はその花が野に蘇る事を願つた。
――ドミネ・イエズス・クリステ(主・耶蘇・基督)
青年は、奇蹟の起らん事を願つた。
六
田園風景のめつきり少なくなつた街を歩きながら、青年は誰とも知らない人の住んでゐる家の庭に、紫陽花(あぢさゐ)の咲いてゐるのが塀越しに目についた。
雨の中を、青年は傘もささずにその花に見蕩(みと)れてゐた。
青年は、紫陽花が日蔭の花で七變化(しつへんげ)と呼ばれてゐる事ぐらゐの智識しかなかつたが、なにか自分の身に置きかへてしまひさうな程、その花は悲しさうであつた。
青年は畫室(アトリエ)へ歸つたら、その花の變化して行く美しくもの悲しい樣を描き表(あらは)さうと思つた。
何故なら、青年自身もまた日蔭の身に違ひなかつたからである。
七
青年の繪は、發表する度に世間の注目を集めた。
青年は、將(まさ)に若くして大家とまで云はれるやうになつた。
時折、大橋親娘や飛騨の高山からの手紙に旅情を誘はれたりする青年だつたが、しかし、まだ何處へといふ旅をする意志はなかつた。
青年は繪(ゑ)に沒頭してゐた。
この間から描き續けてゐた紫陽花(あぢさゐ)の繪が漸(やうや)く完成して、その繪は、まだ何處へも發表せずに畫室(アトリエ)に飾られてあつた。
その繪は、白から青紫色に變(かは)つて行く樣を見事に表現してゐたが、その花が紫陽花であるとは誰が見ても思へず、青年の空想による幻の花としか言ひようがなかつた。
その花には艷(つや)があつて、まるで今にも匂ひさうな程であつた。
繪に描かれた花こそは、實(じつ)に色褪せる事なく、永久(とは)にその姿を保つて輝き續けるといふ青年の思ひが強く感じられた。
しかし、現實の紫陽花は匂ひのない花であつた。
さうして、この世の花の一體(いつたい)どれが永遠の生命を持つてゐるといふのだらうか。
青年は、新潟に住んでゐるあの女性の事を思ふと、急に、この繪を送らうと考へた。
八
夏は軈(やがて)て終(をは)らうとしてゐた。
青年は、あの女性に名も告げずに贈つた花の繪を最後に、筆を折つた。
もう青年は繪を描くまいと思つた。
それは或は徒勞に終るかも知れないだらう。
しかし、もし描くやうな事があつても、それはあと一作が限度のやうな氣がした。
それは意味もなく、ただ豫感(よかん)として青年の胸の中にあつた。
繪を描かないやうになつてから、青年は枯淡の境地へ達して行つた。
秋の氣配が青年の身體(からだ)を柔らかくおし包むやうになつたある夕暮、青年は野邊を歩きながら、枝から落ちた花が土の上に汚れた屍(しかばね)と化してゐるのを見て、その花の色のむしろ安らかな事に驚いた。
それは實際(じつさい)、青年の心の中にまで敷きつめられるかのやうに美しかつた。
九
秋の悲しみの中で、青年は生きてゐた。
あらゆる分野の人達から青年の繪は求められたが、あの日から青年は筆を執らうとはしなかつた。
畫壇(ぐわだん)からの要望にも、勿論、應(おう)じはしなかつた。
毎日のやうに繪を求める人が青年の家へ通つたが、青年の意志は變(かは)らなかつた。
次第に人々の足は遠退(とほの)き、青年はひとりの時間を持てるやうのなつた。
青年は、繪を描かないのは健康上の理由だと斷つたが、事實(じじつ)、身體(からだ)の調子は以前にも況(ま)して惡化してゐた。
夜中に寢てゐる時なども、咳込んで眠れない事が幾夜も續くぐらゐであつた。
しかし、繪を描かない理由は、本當のところ青年にも解らなかつた。
解らない、といつてひき上げる人達ではないので健康上の理由だといつたまでであるが、心ある人は病院へ行く事を勸めてくれ、良い醫者を紹介してくれる人も幾人かゐた。
青年は、その人々に感謝しながらも、ひとり寢室に籠(こも)つてゐた。
青年の家を訪れる人は少なくなつたが、それでもお登代さんは相變らず明るい笑顏をふりまきながら、青年の家へ來て食事の用意や洗濯をして行つてくれた。
時々、食事に來るやうにと誘はれる事があつて、青年もそれに甘えると家庭の温かさを教へられるやうな氣にさへなつた。
お登代さんは人を明るくさせる性格であるらしく、娘の和子もその性格をそのまま受け繼(つ)いでゐた。
和子はお登代さんに似ず、器量良しであつた。
近所の人もさう思つてゐたらしく、何でも嘗(かつ)てそんな事が話題になつた事があり、それを耳にしたお登代さんが若い時の私にそつくりだと言つて、みんなから揶揄(からか)はれた事があつたさうである。
尤も、お登代さんは今でもさう思つてゐるらしく、疑ふ人がゐると自分の若い時の寫眞を持ち出して來て、そつくりだらうとその人達に見せる有樣であつた。
和子はそんな母を見て、恥かしいからやめるやうに言ふものの、別に氣にしてゐる樣子でもなく、その顏は笑つてゐた。
その和子に麗子といふ友人がゐて、或日、その二人が青年の家へ遊びに來た。
麗子が畫家(ぐわか)である青年に逢ひたいからと何度も和子をくどいたので、到頭(たうとう)、和子は根負けをして青年に許しを得たのであつた。
麗子は和子よりも美しかつたが、氣位(きぐらゐ)が高く我儘であつた。
また、和子よりも自分の方が美しいと知つてゐて、それをさり氣なく人に示さうとし、賛美される事を好む性質であつた。
しかし、和子はそんな事に氣がつかないのか、あるいは本當の事だから思つてゐるからなのか、一向に氣にしてゐる風ではなかつた。
青年もそれに倣(なら)つて世間話をしてゐたが、麗子は不滿らしく、話題を繪の方へうつした。
「繪は、お描きになりませんの」
青年は戸惑ひながら答へた。
「最近は、繪を描かなくなりました」
「どうしてですの?」
「身體(からだ)の調子が、すぐれませんので」
麗子は、青年の言葉に失望したのか、
「繪を拜見させて戴けませんかしら!
と言つた。
青年は、麗子が美術大學へ行つてゐる事を和子から聞いてゐたので、畫室(アトリエ)へ案内した。
畫室は、夥しい數の花の繪が置いてあつた。
「あら! 人物は描かれませんの?」
麗子は花の繪を感心するやうにして見渡すと、さう言つた。
「さつきも言ひましたやうに、體調(たいてう)が思はしくないので……」
「もし具合がよくなつたら、描いて戴けません? 私を。
青年は曖昧な返事をした。
「私は、先生のやうな畫家になるのが夢ですの!
麗子はそんな事を言ひながら、最後に、
「今度うかがふ時は、繪を持つて來ますので、見て下さいね!」
と言つて歸(かへ)つて行つた。
歸り際(ぎは)、和子は麗子より一層ふかく頭を下げてゐた。
その夜、青年は夢を見た。
青年は、一面に花が咲く野邊を歩いてゐた。
季節は春なのだらうが、何だか秋のやうに寂しい景色で、遠くには枯木さへ竝んでゐた。
誰かが遠くから落葉を蹈みしめる音さへしさうだつた。
しかし、青年の周りは美しい花が咲き誇つてゐた。
青年は、自分が夢を見てゐる事を知つてゐた。
知つてゐながら、夢の中の青年はどんどん野邊へ歩いて行つた。
すると軈(やが)て、その花を見下すやうな大きな青い花が咲いてゐるのに氣がついた。
實際(じつさい)、その花は他の花を威壓(ゐあつ)するほど美しかつた。
しかし、青年は今日(けふ)和子と一緒に來た麗子を思ひ出して、嫌な氣分になつた。
青年の憧れるあの女性は、麗子に負けないぐらゐ美しいが、美しさそのものが無心であつた。
その青い花は、咲いてゐる事さへ見せつけるやうで、側に近寄り難(がた)かつた。
青年はその青い花を見ながら、まるでその事を忘れるかのやうにして、あの女性の俤(おもかげ)を浮べようとした。
十
麗子は、それからも青年の家へ度々やつて來た。
その内に、和子を差し置いて一人で來る日が多くなつて、青年は大いに困つた。
お登代さんが夕食の用意をしに來た時、青年は麗子がゐたりすると氣を使ふや安心するやで、すぐに和子さんにも來るやうにとお願ひする有樣であつた。
そんな事が續いて、近所でも青年と麗子の間が噂に上るやうになつた。
青年は苦々しい思ひで、それを聞いてゐた。
そんな或時、陽子から一通の手紙が屆いた。
青年が不吉な思ひで封を切ると、案の定、あの女性が入院したとの報せであつた。
あの女性は流産してからといふもの身體(からだ)の調子が惡く、床に伏しがちだつたとの事で、それが胸の病を併發し、喀血したとあつた。
青年は、自分と同じ病があの女性をも苦しめているのか暗然となつた。
青年はどうしていいのか、判らなかつた。
今すぐにでもあの女性の側へ行きたかつたが、それをしても良いものかどうか迷つた。
青年は焦燥の日々を過ごした。
麗子は、青年の家を毎日のやうに訪れ出した。
それが青年を一層苛立たせた。
暗い部屋に閉ぢ籠つてゐると、身體に惡いと言つて、麗子は青年を外出するやうに頻(しき)りに誘つた。
しかし、青年は外出する氣にはなれなかつた。
外出するぐらゐならいつその事ひとりで、あの女性の住む新潟へ旅立ちたい程であつた。
その理由は、あの女性が誰よりも青年の愛してゐる女性だからといふだけの、單純なものではなかつた。
確かに、麗子よりもあの女性の方が、青年にとつて大切な女性である事に違ひはなかつたが、それよりもその原因は麗子の内にあつた。
麗子が青年に求めたものは愛情ではなく、彼女の虚栄心の滿足であつた。
青年と外出したいといふ麗子の思惑は、有名人と一緒に歩いてゐる所を人々に見せびらかしたいといふ氣持があり、それが青年を不快にさせる理由であつた。
その意味では、麗子にとつて青年でさへも、麗子自身を飾る附屬品(アクセサリイ)でしかなかつた。
人を心から愛する事は難しい事であらうが、しかし、それを知らうともしない麗子に、青年は憐れみを感じた。
或日、青年は麗子に言つた。
「貴女が、繪の勉強を、なさりたいのならば、畫室(アトリエ)を使用しても、構ひませんが、それ以外の時には、どうか、僕をひとりにして、いただけませんか」
麗子は、次の日から姿を見せなくなつた。
青年の言葉が、麗子の自尊心(プライド)を傷つけたからかも知れなかつた。
あるいは、少し名前が賣れてゐるからと云つて、生意氣だと思はれたかも知れないし、若しかすると、青年の惡評を高める評論家の一人となる女性かも知れなかつた。
けれども、青年にとつてはそんな事はどうでも良かつた。
お登代さんは相變らず食事の用意に來てくれるし、和子も氣にせずに、青年の家へ出入りしてくれるのだから……。
漸(やうや)く、青年は以前と同じやうに、ひとりの時間が持てるやうになつた。
青年は。再び散歩を日課と出來るやうになつた。
外の景色は、すつかり冬の支度を整へ出してゐた。
落葉は道を敷きつめ、風は冷ややかに青年の周りを吹き拔けた。
青年は枯葉を蹈みしめながら思つた。
自分は、この落葉と同じだ。
この落葉が元の木に戻れないやうに、自分もまたあの女性の處へ行けないのだと思ふと、青年は憂鬱だつた。
夕暮の景色の中で、青年だけが暮れ殘つてゐた。
青年は、風が強くなつて冷たさを増して來たので、歸らうと思つて道端のとある枯木をふと見ると、一本の枝が折れかかつてゐるのが眼についた。
その枝の先には一枚の枯葉が風にさらされて、散りもせずに殘つてゐた。
のみならず、折れ殘つて垂れ下がつてゐるその枝さへも、風は容赦なく吹きつけてゐた。
青年はそれを見ながら、何か全身に靈感を受けたやうに立ち盡し、やがて蹲(うずくま)つた。
――聖なるかな(サンクトス)
青年は、どれ程そこにゐたか判らなかつた。
氣がついた時には、青年は畫室(アトリエ)の畫布(キヤンバス)の前で筆を握つてゐた。
青年はこの繪が描き終るまで、あの枝や枯葉が散らずに殘つてゐる事を希求して止まなかつた。
まるで、それがあの女性の側へ行く事の出來る、最後の手段だとでもいふやうに……。
さうでなければ、青年は再び筆を執る事はなかつたであらう。
青年がさう思ひながら外を見ると、雨さへ降り出してゐた。
最早、青年は何も見ようとしなかつた。
ひたすら、あの木の枝ぶりを思ひ浮べながら、繪を描き上げて行つた。
十一
翌朝、青空に惠まれた野邊を歩きながら、青年は昨夜(ゆふべ)のあの木を捜して見ると、枝は木を離れ、葉は枝を離れて道端に落ちてゐた。
青年をして、あの繪が終(つひ)に絶筆となつた。
§
餘話・第三部を終へて
既に書き終へてゐるとはいふものの、「愛ニ飢タル男」の第三部『たましひ』の掲載を終へる事が出來た。
この章は、丁度「起承轉結」の「轉(てん)」に當(あた)る譯で、前二作と少しばかり趣(おもむき)を異(こと)にしてゐるのは、この構成に從つた結果であるのは云ふまでもないだらう。
ものを書かうとする分際でありながら、知識不足である事を歎いてゐるが、別(わ)けても花に關する知識は少なく、皆無といはれても返す言葉がない。
それが今囘は花について書いているのだから、片腹いたい事このうへない。
もう少し、いや、もつともつと勉強をしておくべきだつたと思ふ事しきりである。
この章は全體(ぜんたい)の中で起伏が少なく、最も穩(おだ)やかな章であると云へるのだが、読者側とすれば、それまでの『第一部 ゆきずり』と『第二部 さすらひ』は、どちらかと云へば筋らしい筋もないので、雰圍氣を味はつてゐるといふ感じではなかつたかと想像される。
けれども、この章はそれまでに比べると人間の内面に拘泥(こうでい)してゐると思ひながら筆者は書いたのだが、それが讀者にも反映されてゐるかどうかは覺束無い。
漠然と物語を空想しながら短歌を作つて、それを膨(ふく)らませて散文を追加して行く作業もなかなかに樂しめたと記憶してゐる。
さて、これでいよいよ最後の『第四部 いづこへ』と駒を進めるのだが、何度も言ふやうに、これはもう完成されてゐるので、筆者としてはモオツアルトの『鎭魂歌(レクイエム)』の音樂を附隨する作業を樂しむ許りである。
因みに、『鎭魂歌(レクイエム)』は正式には『死者の爲の彌撤(ミサ)曲』が正しく、通常の『彌撤曲』の冒頭に羅甸(ラテン)語の『Requiem(「安息を」の意)』といふ言葉で始まる入祭文が含まれる所から、一般に『鎭魂歌』と呼び習はしてゐるのださうである。
二〇一〇年十一月十四日午前二時過ぎ
續きをどうぞ
第四部(Part
Four)いづこへ(Will
go to where)
http://murasakihumio.blogspot.jp/2012/09/tanka-epic-love-hungry-manaiueopart.html
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